ぼくらはプリキュア ( id:hokke-ookamiくんに)
女の『嫌』というものがある。
イヤよイヤよも好きのうち、というのは男目線で正しくない。
好きだか嫌いだかどうしてもわからない、そのどちらの判断カテゴリーをも適用できないから、イヤでしかたないのだ。
これは漠然とした嫌悪感、毎日が地味でなにやってもつまんないから、ふとしたきっかけで
「イヤんなっちゃうな…」
つぶやくアレに近い。
ああほんとだったら今ごろは、豪華なレストランでお酒を飲んで、みんなにちやほやされてるはずなのにさ。
自己愛とはそんな灰色の日常の中で生きてく命綱、自分以外だと判断したもの全てへ向く攻撃性を意味する。
例えば
「こんなのアタシじゃない…」
女とは与えられた自分がイヤな動物だと言ってもよい。
ヘレナルービンシュタインを顔に塗ったり、カリスマ美容師にユル巻きふわふわにしてもらったり、いろいろと身だしなみに気をつかうのは、鏡に写った自分らしきが許せないから。
ほんとは誰だって面倒くさいことはしたくない。それは男も女もかわらない。
自分が男だと思ってきたぼくらも、ここまで読んできて「たしかにそういうとこあるかもな」と感じれたら、すこしだけ女の仲間入り。
男が好きだとか、女が好きだとか、そういう話以前に、自分の中に異性を感じれるのは、生きてく上で、決して悪いことじゃない。
われわれ男の中にも、未知なる女性的な部分がある。
などというのは当たり前。
男であるわれわれが自分で気づいてる以上に、そうであると自覚してる以上に、ぼくらはみんなプリキュアなのだ。
なぜならば、それは倫理的に正しい唯一の道だから。
そんなぼくらプリキュアは、どうやったらもっと美しくなれるのかしら?
鏡をみて
「イヤだ。またこんなとこにシミが…」
とか言ってもいいの?
TVというもうひとつの鏡に写った自分と同類の皆さんに、もらしてはいけない感想があるのかしら?
http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20120207/1328719831
イヤよイヤよも好きのうち、というのは男目線で正しくない。
好きだか嫌いだかどうしてもわからない、そのどちらの判断カテゴリーをも適用できないから、イヤでしかたないのだ。
これは漠然とした嫌悪感、毎日が地味でなにやってもつまんないから、ふとしたきっかけで
「イヤんなっちゃうな…」
つぶやくアレに近い。
ああほんとだったら今ごろは、豪華なレストランでお酒を飲んで、みんなにちやほやされてるはずなのにさ。
自己愛とはそんな灰色の日常の中で生きてく命綱、自分以外だと判断したもの全てへ向く攻撃性を意味する。
例えば
「こんなのアタシじゃない…」
女とは与えられた自分がイヤな動物だと言ってもよい。
ヘレナルービンシュタインを顔に塗ったり、カリスマ美容師にユル巻きふわふわにしてもらったり、いろいろと身だしなみに気をつかうのは、鏡に写った自分らしきが許せないから。
ほんとは誰だって面倒くさいことはしたくない。それは男も女もかわらない。
自分が男だと思ってきたぼくらも、ここまで読んできて「たしかにそういうとこあるかもな」と感じれたら、すこしだけ女の仲間入り。
男が好きだとか、女が好きだとか、そういう話以前に、自分の中に異性を感じれるのは、生きてく上で、決して悪いことじゃない。
われわれ男の中にも、未知なる女性的な部分がある。
などというのは当たり前。
男であるわれわれが自分で気づいてる以上に、そうであると自覚してる以上に、ぼくらはみんなプリキュアなのだ。
なぜならば、それは倫理的に正しい唯一の道だから。
そんなぼくらプリキュアは、どうやったらもっと美しくなれるのかしら?
鏡をみて
「イヤだ。またこんなとこにシミが…」
とか言ってもいいの?
TVというもうひとつの鏡に写った自分と同類の皆さんに、もらしてはいけない感想があるのかしら?
http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20120207/1328719831
「非モテ男きらい」によせて
http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20111125213149
たぶん誤解は2重になってる。
1)女は1人1人違う。
「これまでの『デートコース』」の様なノウハウは基本、通用しないと思っておいたほうがいい。
ナメてかかってると、間違いなく「前の女と行ったホテルにあたしをつれてくの?」みたいな話になる。
モテは個別の恋愛を救わない。
恋愛という局面では、男には成熟が「許されてない」ともいえる。
2)「女とは『女なるもの』への憎しみの距離」と書いたことがある。
「女なるもの」は当の女にとっても、把握や自己認識を逃れ続ける永遠の謎。
それ故に、女に成熟は「ありえない」。
男も「定義不可能な存在」とは関係を結べない。
男が女と恋愛する際も、女ではなく「母(の代替物)」としか関係できない。
これは誰もが認めたくない人間社会最大のスキャンダル。
男はみんなママとつきあってるのだ。
でなければ近親相姦の禁止は社会の礎になりえない。
たぶん誤解は2重になってる。
1)女は1人1人違う。
「これまでの『デートコース』」の様なノウハウは基本、通用しないと思っておいたほうがいい。
ナメてかかってると、間違いなく「前の女と行ったホテルにあたしをつれてくの?」みたいな話になる。
モテは個別の恋愛を救わない。
恋愛という局面では、男には成熟が「許されてない」ともいえる。
2)「女とは『女なるもの』への憎しみの距離」と書いたことがある。
「女なるもの」は当の女にとっても、把握や自己認識を逃れ続ける永遠の謎。
それ故に、女に成熟は「ありえない」。
男も「定義不可能な存在」とは関係を結べない。
男が女と恋愛する際も、女ではなく「母(の代替物)」としか関係できない。
これは誰もが認めたくない人間社会最大のスキャンダル。
男はみんなママとつきあってるのだ。
でなければ近親相姦の禁止は社会の礎になりえない。
「レインマンになった嫁」について
「愛し合う2人が社会生活を営む」とは「玄関脇の小部屋で綱引きをする」のと同じ。
要は力関係(パワーゲーム、権力奪取)の問題。
一般的には夫が生真面目で、さらに真面目であろうと努め、端からみると愚直さを誇ってるのと区別がつかないくらい、プロ社蓄業に専念すればする(例えば終身雇用の会社で目の前の出世しか考えないサラリーマンとか)ほど、その妻は「社会は私に不当な危害を加えてる。だから用心してもしすぎることはない」と主張するようになる。
もちろん社会の本質は「都会はジャングル」だったりするわけで、妻の言い分も「電波を受信してるだけ」と切って捨てれない部分がある。
過剰に反応することで、努めて自らの所属する世界に疑いをもたないようにしてる夫に「気をつけて!世の中はそんなに善人ばかりじゃない」と注意を喚起してるから。
ここでも全く同じことが起ってる。
このひとは「科学至上主義」でも「社会改革主義者」でもなく、フツーの人(ノンポリ)。
かたや左翼の女房の大半は愚直なデクノボー。
ひと昔まえだったら、こたつで紙ふうせん作りの内職してるようなひとたち。
そうでなければ旦那の社会改革の夢は支えれない。
要は力関係(パワーゲーム、権力奪取)の問題。
一般的には夫が生真面目で、さらに真面目であろうと努め、端からみると愚直さを誇ってるのと区別がつかないくらい、プロ社蓄業に専念すればする(例えば終身雇用の会社で目の前の出世しか考えないサラリーマンとか)ほど、その妻は「社会は私に不当な危害を加えてる。だから用心してもしすぎることはない」と主張するようになる。
もちろん社会の本質は「都会はジャングル」だったりするわけで、妻の言い分も「電波を受信してるだけ」と切って捨てれない部分がある。
過剰に反応することで、努めて自らの所属する世界に疑いをもたないようにしてる夫に「気をつけて!世の中はそんなに善人ばかりじゃない」と注意を喚起してるから。
ここでも全く同じことが起ってる。
このひとは「科学至上主義」でも「社会改革主義者」でもなく、フツーの人(ノンポリ)。
かたや左翼の女房の大半は愚直なデクノボー。
ひと昔まえだったら、こたつで紙ふうせん作りの内職してるようなひとたち。
そうでなければ旦那の社会改革の夢は支えれない。
「美人に生まれたら」
これは皆が指摘してる「いかに男が身勝手か」という話ではない。
「男による理不尽な嫉妬」を語りながら、増田は「私は自分自身への嫉妬を押さえきれない」と告白してる。
女は常に自分に嫉妬する。
女が嫉妬するのは自分だけだ。
美、ないしは他人をひきつけるモテぢからとは、私の中にいる「女」のこと。
私は私がなにゆえに男に求められてるのかがわからない。
「女」とは実のとこ、「自らのわからなさ」のこと。
私は何が自分の魅力なのか、どうにも納得できないままいる。
男の目を通じてしか確認できないから。
どうしてもそれが、自分自身の一部だとは思えないのだ。
だから私は私を嫉妬する。それは永遠に止むことがない。
今もその気持ちを吐き出さずにはいれないのだ。
私は私の中にいる女が憎くてたまらない。
「男による理不尽な嫉妬」を語りながら、増田は「私は自分自身への嫉妬を押さえきれない」と告白してる。
女は常に自分に嫉妬する。
女が嫉妬するのは自分だけだ。
美、ないしは他人をひきつけるモテぢからとは、私の中にいる「女」のこと。
私は私がなにゆえに男に求められてるのかがわからない。
「女」とは実のとこ、「自らのわからなさ」のこと。
私は何が自分の魅力なのか、どうにも納得できないままいる。
男の目を通じてしか確認できないから。
どうしてもそれが、自分自身の一部だとは思えないのだ。
だから私は私を嫉妬する。それは永遠に止むことがない。
今もその気持ちを吐き出さずにはいれないのだ。
私は私の中にいる女が憎くてたまらない。
「『日本のファンク史』のための徹夜漫談」はデタラメ
>そもそもディスコという街場の祝祭空間自体が70年代後半の文化
間違い。
日本でディスコといえば赤坂ムゲンや新宿サンダーバード、浜野研究所のアストロメカニクールや黒川記章のスペースカプセルに代表される60年代-石油ショック前の文化が絶頂期。
http://teal.jp/blog/disco_dayz_vol1.html
現在閲覧できる文献のほとんどが「ゴーゴーバー」「ゴーゴースポット」表記となってるが、少なくとも東京では「ディスコティク」と呼ばれてた(当時の個人記録の日記有り)。
沢村和子とピーターパンはファンク。
http://machobolic.blog110.fc2.com/blog-entry-123.html
1970年公開の「野良猫ロック」は横浜アストロが舞台。これは横浜の黒人系の文化。
4:05あたりから。
71年になるとこんな感じ。
このような誤解が生じるのは当時の黒人ダンス文化が極めてアングラだったから。
75年以降に「日本のファンク史」に紹介されてるような楽曲が増えてくるのはあたりまえ。
なぜならばそのころ赤坂ムゲンに行きさえすれば誰でも本場のファンクで踊れたから。
http://blog.soulsearchin.com/archives/001525.html
コンファンクシャンは原子力空母エンタープライズの専属で来日したという伝説のある「ファンク」バンド。
これは「70年代以降のディスコブーム」とは何の関係もない。
間違い。
日本でディスコといえば赤坂ムゲンや新宿サンダーバード、浜野研究所のアストロメカニクールや黒川記章のスペースカプセルに代表される60年代-石油ショック前の文化が絶頂期。
http://teal.jp/blog/disco_dayz_vol1.html
現在閲覧できる文献のほとんどが「ゴーゴーバー」「ゴーゴースポット」表記となってるが、少なくとも東京では「ディスコティク」と呼ばれてた(当時の個人記録の日記有り)。
沢村和子とピーターパンはファンク。
http://machobolic.blog110.fc2.com/blog-entry-123.html
1970年公開の「野良猫ロック」は横浜アストロが舞台。これは横浜の黒人系の文化。
4:05あたりから。
71年になるとこんな感じ。
このような誤解が生じるのは当時の黒人ダンス文化が極めてアングラだったから。
75年以降に「日本のファンク史」に紹介されてるような楽曲が増えてくるのはあたりまえ。
なぜならばそのころ赤坂ムゲンに行きさえすれば誰でも本場のファンクで踊れたから。
http://blog.soulsearchin.com/archives/001525.html
コンファンクシャンは原子力空母エンタープライズの専属で来日したという伝説のある「ファンク」バンド。
これは「70年代以降のディスコブーム」とは何の関係もない。
出会い系ゴダールのアレ
私は10年くらいまえ「欲望」のTシャツもらったことありますよ(例のまたがって撮ってるシーン)。
せっかくいただいたのに悪いなぁと思いつつけっこう困ってた記憶が。
「もはや出会いは始まってるのですね(笑)」とか書いてありましたね。
問題は、この(笑)が「織り込み済(リフレクティブ)」なとこにあるのではないでしょうか。
たとえば合コン(いったことないので想像で申し上げてますが)とかで
男・「ここ…つまらなくない?(笑)」
女・「…そうかも(笑)」
男・「ぬけだしちやおっか?」
両者の笑いは同質だと思います。
私には「選択」というより「必要条件」(なぜならばこの「笑い」だけが集団からカップルを抽出するから)
「崩れ」というより「崩れの崩れ」、もしくは「(本来は装い、ポーズであるところの)崩れをさらに装う」(なぜならば目的はゴダールトリビア頂上決戦ではないから)
に見えてならないのです。
よく「嘲笑」を「神の笑い」などと申しますが。
なるべく他人を嘲笑しておくべきだとも私は強く思っております。
その笑いが嘲笑かどうかは誰にも決めれない(神さまにしかわからない)というのが正直なとこなんじゃないですかね。
せっかくいただいたのに悪いなぁと思いつつけっこう困ってた記憶が。
「もはや出会いは始まってるのですね(笑)」とか書いてありましたね。
問題は、この(笑)が「織り込み済(リフレクティブ)」なとこにあるのではないでしょうか。
たとえば合コン(いったことないので想像で申し上げてますが)とかで
男・「ここ…つまらなくない?(笑)」
女・「…そうかも(笑)」
男・「ぬけだしちやおっか?」
両者の笑いは同質だと思います。
私には「選択」というより「必要条件」(なぜならばこの「笑い」だけが集団からカップルを抽出するから)
「崩れ」というより「崩れの崩れ」、もしくは「(本来は装い、ポーズであるところの)崩れをさらに装う」(なぜならば目的はゴダールトリビア頂上決戦ではないから)
に見えてならないのです。
よく「嘲笑」を「神の笑い」などと申しますが。
なるべく他人を嘲笑しておくべきだとも私は強く思っております。
その笑いが嘲笑かどうかは誰にも決めれない(神さまにしかわからない)というのが正直なとこなんじゃないですかね。
出会い系ゴダールのアレ
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/forceofevil/20110818/1313659709
あえて茶化さずにマジレスさせていただきますと、たとえばこちらで
id:angmarさんがお書きになってるような現状http://bit.ly/p9Ye72があるのだと思います。
ただこれは正確には「見合い以外の結婚が不可能」ではなく、『見合いに代表されるような社会的な象徴機構が不可能になったからこそ、これまではごくあたりまえに受け取られてた「相手とのつりあい」みたいなものが、とたんに銭ゲバ(年収1000まんよこせ)と体内時計(羊水のデータ提出すべき)のバトルになってしまう』。だからこそ「見合い以外が不可能」に感じられてならない。
自由恋愛で見合い(憎むべき家父長制度)を駆逐したと思った瞬間、自由恋愛もなくしてしまった。
という話ではないかと、考えています。
じつはこの手の(特にサブカルな)趣味というものは、笑いが大きければ大きいほど、選別の役割をよくみたすという条件で、今や不可能になってしまった社会的な象徴機構の代替をしてるのではないでしょうか。
他人さまの趣味を「これは酷いww」と笑いものにし続けてきたばかりに、すっかり縁遠くなってしまったこの私が、こんなことを申し上げるのもどうかとは思いますが。
id:hisamichiさま
あえて茶化さずにマジレスさせていただきますと、たとえばこちらで
ただこれは正確には「見合い以外の結婚が不可能」ではなく、『見合いに代表されるような社会的な象徴機構が不可能になったからこそ、これまではごくあたりまえに受け取られてた「相手とのつりあい」みたいなものが、とたんに銭ゲバ(年収1000まんよこせ)と体内時計(羊水のデータ提出すべき)のバトルになってしまう』。だからこそ「見合い以外が不可能」に感じられてならない。
自由恋愛で見合い(憎むべき家父長制度)を駆逐したと思った瞬間、自由恋愛もなくしてしまった。
という話ではないかと、考えています。
じつはこの手の(特にサブカルな)趣味というものは、笑いが大きければ大きいほど、選別の役割をよくみたすという条件で、今や不可能になってしまった社会的な象徴機構の代替をしてるのではないでしょうか。
他人さまの趣味を「これは酷いww」と笑いものにし続けてきたばかりに、すっかり縁遠くなってしまったこの私が、こんなことを申し上げるのもどうかとは思いますが。
Midas さんがIDコールされました
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http://b.hatena.ne.jp/uchya_x/20110808#bookmark-54062074
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君がようやく自分で自分がどれだけバカか気がついた様で私は嬉しく思っています。
迷惑なので今後私に絡んで来ないでください。
君のコメントはどれも全く価値のないものです。>
屑籠のシロクマは汚れて真っ黒(汎適所属) :
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ピックアップしようとしても無理ですし、各要素を厳密に分類してモデル化する
こともできません。」と書きました。わざと読み飛ばしました?
http://b.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20110125#bookmark-28499838
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