しえすた さんのエントリー
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id:Siesta
作曲は作文。語彙と文法を学べば誰にでも短い文が書けるのと同じように、点の縦の積み重ねかたと横の連ねかたを学べば誰にでも短い楽節がつくることができる。そして文章の形式を学べば長い文章も書けるのと同じように、楽曲の形式を学べばソナタもポップソングもつくることができる。語学を独学する場合には辞書と文法教科書と例文集が頼りになるように、作曲を独学する場合にも理論書と実作例が頼りになる。
中・近世のラテン語文献学者は教師でもあった。古いタイプの教師がラテン語を生徒たちに教えるにあたってセネカやキケロを彼らに読ませたのは、それらがラテン語最高の美文といわれていたからだ。演説文なり公文書なり哲学的論考といった長い文章を整ったかたちで書くためには、それぞれの分野の規範を先人の実作から学ぶのが手っ取り早い。
同じように、かつての作曲家たちは古典的実作例を生徒たちに分析させたりもした。もちろんいまならマイルスなりビートルズなり坂本龍一なりの実作例を学ばせてもいい、とにかくそれぞれの生徒の望むものがいい。独学の場合は自分の愛するものや目指すものを聴く、もしくは「読む」べきだろう。古典とはあくまで「典拠とすべき古いもの」なのだから、それがただちにバッハやモーツァルトやベートーヴェンを意味するのではない。何らかの要求があってフィッシュマンズを典拠とすべきならそうすればいい、彼らだってレゲエの大家たちの音楽を古典として学んだのだから。
しかしこれだけでは何か足りない。もちろん上の考え方がたとえばノイズ・ミュージックを完全に度外視していることは明らかだけれど、それが足りないと言っているのではない。何が足りないだろう?
中・近世のラテン語文献学者は教師でもあった。古いタイプの教師がラテン語を生徒たちに教えるにあたってセネカやキケロを彼らに読ませたのは、それらがラテン語最高の美文といわれていたからだ。演説文なり公文書なり哲学的論考といった長い文章を整ったかたちで書くためには、それぞれの分野の規範を先人の実作から学ぶのが手っ取り早い。
同じように、かつての作曲家たちは古典的実作例を生徒たちに分析させたりもした。もちろんいまならマイルスなりビートルズなり坂本龍一なりの実作例を学ばせてもいい、とにかくそれぞれの生徒の望むものがいい。独学の場合は自分の愛するものや目指すものを聴く、もしくは「読む」べきだろう。古典とはあくまで「典拠とすべき古いもの」なのだから、それがただちにバッハやモーツァルトやベートーヴェンを意味するのではない。何らかの要求があってフィッシュマンズを典拠とすべきならそうすればいい、彼らだってレゲエの大家たちの音楽を古典として学んだのだから。
しかしこれだけでは何か足りない。もちろん上の考え方がたとえばノイズ・ミュージックを完全に度外視していることは明らかだけれど、それが足りないと言っているのではない。何が足りないだろう?
id:Siesta
あまりまとまっておらず、またあまり厳密なことばづかいをしていない試論
a) 性的発言・性的行為がなされた事実があり、それを受けた本人がそれらをいやだと思ったならば、それらは性的いやがらせにあたる。
b) 性的なことをいわれた・された側が「いやだ」と言ったら、いった・した側はたとえどんな意図があろうともただちにその発言を撤回したり行為を中止すべきである。
c) とくに会社や学術機関やサークルなどで問題とされる性的いやがらせの場合、背景の権力関係(上司対部下・教師対学生・先輩対後輩)にもとづいて、いわれた・された側が「いやだ」と言えなくさせられていることが多い。あるいはまた、同僚・同輩など対等と思われがちな関係のなかにも無言の同調圧力が潜んでいることもあり、その場合いわれた・された側が相手や場の空気に配慮させられて「いやだ」と言えなくさせられていることもある。したがって、その相手が「いやだ」と言っていない場合でも、その相手にいやだと思われかねない性的発言や性的行為をすべきではない。
d) 性的発言や性的行為を受けた本人が「いやだ」と思った / 思っている / 言った / 言っている限りにおいて、そのひとに向かって第3者が「それはただの下ネタだよ」や「自分ならそんなことでいやがらないけどな」と言ったりすべきではない、なぜなら第3者はその本人の生を生き直せないから。実際には立場も関係性も蓄積された経験も異なるにも関わらずあたかも本人を代理できるかのような発言を第3者はすべきではない (本人の傷は本人のものであり、第3者がどうこう言ってどうにかなるものではない)。それよりもまず本人がいやがっているということを第3者は承認する必要がある。
e) 性的発言・性的行為がなされたという事実が存在しない場合、それにも関わらずあたかもその事実があったかのように公然と吹聴することは、名誉棄損にあたるおそれがある。逆に、その事実が真実であり、法益の保護を目的として本人ないし第3者がそれについて抗議する場合、名誉棄損にはあたらない。
f) 本人の抗議に関して第3者が「それは下ネタでしょ」「それは性的なことだけど自分ならいやだとは思わないな」などと言ってしまえるとき、性的発言・性的行為のなされた事実そのものはあったということを第3者は認めているのだから、そうである以上「いやだ」と思った本人がその事実について抗議することそのものは何ら不当ではないことをその第3者は認めるべき。
g) ネット上、とくにはてな界隈で、セクハラ・痴漢などに関する議論がもちあがったときに、いわゆる「冤罪」問題に関連付けて過剰反応を示す人物がしばしばあらわれるが、そうした場合その過剰反応を示した人物においてaかeの線引きができていないことが多いのではないか、とぼくは思っている。
a) 性的発言・性的行為がなされた事実があり、それを受けた本人がそれらをいやだと思ったならば、それらは性的いやがらせにあたる。
b) 性的なことをいわれた・された側が「いやだ」と言ったら、いった・した側はたとえどんな意図があろうともただちにその発言を撤回したり行為を中止すべきである。
c) とくに会社や学術機関やサークルなどで問題とされる性的いやがらせの場合、背景の権力関係(上司対部下・教師対学生・先輩対後輩)にもとづいて、いわれた・された側が「いやだ」と言えなくさせられていることが多い。あるいはまた、同僚・同輩など対等と思われがちな関係のなかにも無言の同調圧力が潜んでいることもあり、その場合いわれた・された側が相手や場の空気に配慮させられて「いやだ」と言えなくさせられていることもある。したがって、その相手が「いやだ」と言っていない場合でも、その相手にいやだと思われかねない性的発言や性的行為をすべきではない。
d) 性的発言や性的行為を受けた本人が「いやだ」と思った / 思っている / 言った / 言っている限りにおいて、そのひとに向かって第3者が「それはただの下ネタだよ」や「自分ならそんなことでいやがらないけどな」と言ったりすべきではない、なぜなら第3者はその本人の生を生き直せないから。実際には立場も関係性も蓄積された経験も異なるにも関わらずあたかも本人を代理できるかのような発言を第3者はすべきではない (本人の傷は本人のものであり、第3者がどうこう言ってどうにかなるものではない)。それよりもまず本人がいやがっているということを第3者は承認する必要がある。
e) 性的発言・性的行為がなされたという事実が存在しない場合、それにも関わらずあたかもその事実があったかのように公然と吹聴することは、名誉棄損にあたるおそれがある。逆に、その事実が真実であり、法益の保護を目的として本人ないし第3者がそれについて抗議する場合、名誉棄損にはあたらない。
f) 本人の抗議に関して第3者が「それは下ネタでしょ」「それは性的なことだけど自分ならいやだとは思わないな」などと言ってしまえるとき、性的発言・性的行為のなされた事実そのものはあったということを第3者は認めているのだから、そうである以上「いやだ」と思った本人がその事実について抗議することそのものは何ら不当ではないことをその第3者は認めるべき。
g) ネット上、とくにはてな界隈で、セクハラ・痴漢などに関する議論がもちあがったときに、いわゆる「冤罪」問題に関連付けて過剰反応を示す人物がしばしばあらわれるが、そうした場合その過剰反応を示した人物においてaかeの線引きができていないことが多いのではないか、とぼくは思っている。
id:Siesta
隣の部屋の住人が外出した気配がしたので、声を出した。信濃地方の追分馬子唄。風が強いとぼくはこれを歌いたくなる。
このうたはモンゴルの長唄オルティン・ドーによく似ているといわれる。だからルーツはモンゴルにあるのではないかという説もあり、他方には両者のあいだに直接の継承関係はなくむしろ人種的・環境的諸条件の類似による平行的発生なのではないかという説もある。しかしいずれもあくまで推測にすぎず、こうした推測を確実に裏付けうる史料的・科学的根拠はいまのところない。あるのはロマンだけだ。そしてロマンはときにひとびとを大きく動かしてしまう。近代の栄光と恥辱。
このうたはモンゴルの長唄オルティン・ドーによく似ているといわれる。だからルーツはモンゴルにあるのではないかという説もあり、他方には両者のあいだに直接の継承関係はなくむしろ人種的・環境的諸条件の類似による平行的発生なのではないかという説もある。しかしいずれもあくまで推測にすぎず、こうした推測を確実に裏付けうる史料的・科学的根拠はいまのところない。あるのはロマンだけだ。そしてロマンはときにひとびとを大きく動かしてしまう。近代の栄光と恥辱。
らぶびあだけどラジオするよ!
ま、「都市伝説だからこそ、それを信じている大勢のひとたちに対しては、視覚的アピールが有効だぜ」とは言えるんでしょうねー。 (要は「ひとをルックスで判断するよと普段断言しているひとに対してよりよき第一印象を与えるためには、そのひとの好むルックスを装うのがいいんじゃないの」という程度の話では?)
らぶびあだけどラジオするよ!
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