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deepbluedragon 蒼龍

ネット上にある翻訳なども見ながら思ったけれど、トマス・アクィナスの文章は他のスコラ哲学者と比べると論証が少ない。例えば「神学大全」第二問第一項(http://theologia.jp/prima/002/01.htm[二八三〇六])にはアンセルムス風の神に関する存在論的論証への批判があるのだけれど、アンセルムスと同時代のガウロニによる批判や後のカントによる批判に比べると、確かに同じような批判ではあるけれど論証としては弱くて、ガウロニやカントに比べると直接的な引用を見ることがほとんどないのもしょうがないことかなと思う。
トマス・アクィナスを読んでいて感じるのは、局所的に見ればそれなりに納得できる内容であっても、他の内容も含めて総合的に考えるとどう話を一貫させればいいのか分からなくなる。実際にトマス・アクィナスに関しては学者によって見解が異なることも多いように思う(例えば認識論的に内在主義か外在主義かや表象説を採っていたかどうかなど)。もしかしてトマス・アクィナスの背後に一貫した哲学的理論を想定することが間違っているのかもしれない…とまで思ってしまう。
もちろんトマス・アクィナスが採用している説がない訳でもない(例えばesseの分有説とか類比説とか)けれど(新プラトン主義ほどではないにしても)どうも論証が少ないせいもあって辻褄合わせをしているだけの説じゃないかという印象を抱いてしまう。アウグスティヌスにはさらに論証が少ないけれどこれはスコラ哲学とは異なるのだから当たり前だし、むしろ様々な議論のための源泉(例えば三位一体論や時間論など)として価値があるのであり実際にそういう形の参照を見ることが多いが、トマス・アクィナスは違う。あえて言えばトマス・アクィナスには志向性や人間的行為やハビトゥスなどの現代哲学で論じられているものを含めた様々なアイデアが含まれているのが長所だが、所詮は論証が弱いので過大な期待はできない。
と言う訳で、トマス・アクィナスに関しては扱いに困っているのだけれど、好きな所や発見がない訳でもないので捨て去る気までは起きないなぁ。

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やっぱり認知科学と哲学が好き。

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