

id:gustav5
私は特定の分野の業務に詳しくなって頼られたりその分野の専門家と渡り合える程度にはなって、もしかしたら何者かにはなってるのかもだけど、しかし他人を論評するという意識はない。他人にないものを持っていることはそれ自体はたいしたことではない。持つことじたいにほんとは意味はなくて、意味があると錯覚してる人の中でしか、意味はないんじゃないか。
うむ、ビー玉が転がる
うむ、ビー玉が転がる
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コンビニ人間のなかで、普通のは人たちは普通でない人を論評したがる、というのがあったはずなんだけど、おのれが普通でないという変な決めつけを自覚したひともまた、おのれ以外を論評したがる点で、ああ、人というのは他人を論評して安らぎを得ないと生きて行けないのかなあ、とは思った。でもそれはおのれの評価軸を他人に依存している点で、確固たるものはないから、常に不安と隣り合わせでゆえに、どうしようもないことなのかも。
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[目玉焼き]
私は目玉焼きはいまだに食べられない。いつだったか韓国料理店でビビンバを頼んで、あれだったら卵はあるけど黄身だけのが出てきて、それをはやいうちにかき混ぜれば食べれるだろうと考えて、同行者に玉子食べれるよアピールも兼ねて、頼んだ。したらでてきたのが、半熟状の目玉焼きが載ってるビビンバで、もちろん目玉焼きの部分だけは食べなかったんだけど、なんだろ、半熟状の黄身の部分からちょっとだけだらだらーっと流れてしまって、うわああああああああ、ってなったけど、そこだけは目をつぶって食べた。できることなら目玉焼きは、黄身もしっかり焼いて欲しい。絶対食べないけど。
私は目玉焼きはいまだに食べられない。いつだったか韓国料理店でビビンバを頼んで、あれだったら卵はあるけど黄身だけのが出てきて、それをはやいうちにかき混ぜれば食べれるだろうと考えて、同行者に玉子食べれるよアピールも兼ねて、頼んだ。したらでてきたのが、半熟状の目玉焼きが載ってるビビンバで、もちろん目玉焼きの部分だけは食べなかったんだけど、なんだろ、半熟状の黄身の部分からちょっとだけだらだらーっと流れてしまって、うわああああああああ、ってなったけど、そこだけは目をつぶって食べた。できることなら目玉焼きは、黄身もしっかり焼いて欲しい。絶対食べないけど。
おれのかんがえたすごい地獄
誰かが手助けしてくれるわけでもない猫の手も借りたい忙しさのときに限って、猫だけが擦り寄ってきてこっそり手を差し出してくれる地獄
好きなカレーの食べ方
挽肉に炒めタマネギとコーンと干しレーズンを入れた出来立てのあつあつのドライカレーをレタスに包んで食べるのがいちばん好き(冷たくなったドライカレーを炊き立てのご飯の上にのせて食べるのも好き)
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〇「問題ない」というのがブームになっているというよりも、世の中の言葉が大雑把になってきてるような。
〇たとえば本来なら「法的に問題ない」というのと「道義的に問題ない」というのは別種のもので、でも昨今は「問題ない」という結論だけ提示して、「どういう問題がない」のかの説明を省く傾向があって、「問題ない」という結果を強く印象付け、それで終わりにしてしまってる。
〇質問に対しての答えが「問題がない」であったとき、日本語的質疑応答としては正しいので、仮に問題があると質問者が考えたとしても、とりつくしまがない。
〇いつの頃から大雑把になったのかはわからないけど、大雑把な日本語をきくにつれ、ああならないようにしたいなあ、と反面教師のように眺めてる。
〇たとえば本来なら「法的に問題ない」というのと「道義的に問題ない」というのは別種のもので、でも昨今は「問題ない」という結論だけ提示して、「どういう問題がない」のかの説明を省く傾向があって、「問題ない」という結果を強く印象付け、それで終わりにしてしまってる。
〇質問に対しての答えが「問題がない」であったとき、日本語的質疑応答としては正しいので、仮に問題があると質問者が考えたとしても、とりつくしまがない。
〇いつの頃から大雑把になったのかはわからないけど、大雑把な日本語をきくにつれ、ああならないようにしたいなあ、と反面教師のように眺めてる。