pollyanna はてなハイク市民 (銀 139日)

ぱれあな

"id:pollyanna" でひとこと

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pollyanna

pollyanna ぱれあな

自分は根拠のない違和感や恐怖に支配されて行動し、合理的な判断ができない畜生以下の人間である、という事実を正当化するために、ひとは自然回帰したり、右傾化したりするんだろうかな。
pollyanna

pollyanna ぱれあな

返信先さくら
そうなのか、と思って検索してみたら、ぜんぜんひっかからないんですよう。
どうやってたどり着いたのか、ちょう謎。
pollyanna

pollyanna ぱれあな

うちのブログの検索ワードを見てみた。
 
<多い検索ワード>
・「EM 環境」とか「EM 効果」とか、EM関連。
・西鶴の作品名も。文学部の学生さんかな。
・弁理士、弁理士試験関連。
・「ありのかんさつ」。夏だからかな。
・野菜のオイル蒸し関連。
・マニフェスト比較関連。
・「吸虫管」。かんたんにつくれるよ。
・医薬の投与方法の特許関連。
・はてなダイアリーからの移行関連。
・女性と自己実現関連。
・ポスドク関連。
 
<印象深い検索ワード> 
・「弁理士と結婚する方法」……あまり将来は明るくないと思うけど。
・「女性の社会進出 質の面」……それがどうしたっ!
・「k2シロップ 吐いた」……因果関係はないですよ、ホメオパシーに走らないでね、と伝えてあげたい。
・「でも頑張る 夫は助教」……が、がんばってください!
・「おばちゃん 大隅典子」……gkbr
・「ちゅっちゅえへへ」……何を調べたかったんだ。
・「もっとしてほしい」……何を。 (続きを読む)
taroleo

pollyanna ぱれあな

そういえば、はてブはやめたのですか?
tsugo-tsugo

pollyanna ぱれあな

返信先ぱれあな
おくればせながら全力でうなずきまくりですよ奥様。
30になってから、こー自分の女性性はそのまま自然体で行こう、と思えるようになった気がしますよ。おばさんになると色々楽ではあります。
pollyanna

pollyanna ぱれあな

返信先No.3
しずちゃんは万人受けということかしらん ^^
でもそれもなんとなく納得〜。
sharou

pollyanna ぱれあな

返信先ぱれあな
しずちゃんって女子受けなんだぁ。
芸人としてだけじゃなくて、かわいいという部分でも、うちの息子たちはふたりともしずちゃん好きだから、なんとなく、男子に人気あるんだと思ってた。
と、つい脇筋に反応(笑)
pollyanna

pollyanna ぱれあな

女子力関連で。
 
http://anond.hatelabo.jp/20090915043302
 
この増田が言ってることはある意味正しくて、ただその「かわいい」の評価基準ってなんだ、という話かな、と思った。
 
かわいさとか女子力の評価って、見た目がかわいいだけ、じゃない気がする。
それプラス、いきいきしてる、鬱屈してない、前向き、のように、スピリチュアルな強さみたいなものも加味されてそう。
だからきっと、「きれいオーラ」「元気オーラ」のような言葉が使われるんじゃないのかな、と思ったり。
 
id:ohnosakikoの本にもあったけど、自分の中の女性性って、ポジティブな意味でもネガティブな意味でも、とにかく気になる対象ではあるんだよね、多くの女性にとって。
でもって、その女性性とうまく折り合いをつけられている女性が、「女子力が高い」として、憧れの対象になるような気がする。
 
屈託なく女らしさを表現できて「おんなおんなしてる」女性も、
女っぽさは控えめで、ボーイッシュなさばさば感を出している女性も、
だから等しく「かわいい」「女子力高い」になるんだろう。
 
異性にはドン引きされそうなネイルに凝ってもよし。それは、自分の女性性とまともに向き合って、受け入れている潔さの証拠。
極端な話、「女性として屈託がない」であれば、「あのおばあちゃん、かわいい~♪」にもなるわけだ。
 
自分の女性性に折り合いをつけるには、自分なりのやり方を取るしかないから、それに成功した女性はみんな「自分らしく」「私らしく」を実現してる。
女性向けの雑誌なんかに、こういったキーワードが頻出するひとつの理由かも、などと思う。
 
「女子力向上」は、ときにめんどくさい自分の女性性をうまく操縦して、なんとか生きていこうとする女性たちの生命力のあらわれかも、と思えば、いじらしくもあるし、愛... (続きを読む)
pollyanna

pollyanna ぱれあな

はてダ重いし、twitterは「ごーまるーさーん♪」連発だし、もう寝ろってことですね。
おやすみなさい。
pollyanna

pollyanna ぱれあな

返信先satomies
「「ヒト」と「コト」を分離させて思考するというのは、痛みをもったときがきっかけになることは多い」
ここ、私もしみじみと同感です。子供はまだ小さいのでわからないんですが、自分の経験として。

私はどういうキャラの子供だったかな、と考えてみるに、わりとルール性に忠実な子だったように思います。
ちょっとした逸脱を楽しむようになったのは、大学生になってからだったでしょうか。
自分が人を傷つけることの痛みは、遅かったですが、そこで味わったと思います。

だから、「ヒト」と「コト」を分離するというテーマは、ずっと、いろんな形で、現れたり消えたりしながら、つきまとっている、という感じかも。

自分の子供がどうなるのか、すごく楽しみですね。
私とはぜーんぜん性格が違うので、とってもおもしろい。
satomies

pollyanna ぱれあな

返信先complex_cat
いろいろなお話、ありがとうございました。
小学生のときはちょこちょこといろいろはあったのですが、そこが深刻なことにならなかった。このあたり、いろいろなカードがひとつ違えばまた違ったことになるという学習をさせていただきました。
とりあえず中学時代は平穏に過ぎそうで、もうあと少しで高校時代に入ります。
彼にはまた、新しい環境での経験が始まるんでしょう。かなり危なっかしい気持ちでドキドキです。
complex_cat

pollyanna ぱれあな

返信先satomies
我が家では,この性向は,上二人が強力でした。ただ,上は,それなりに闘争に巻き込まれて,戦ったり,真の部分では武闘派。それ故,モラリスト的な頑固さも強くでてしまいますが。
 次男が,かなりお子さんの性格に近い部分があります。ただ,学年が上がるとともに理解されると言うことはなく,学年が替わるたびに浮き沈み。多くのクラスメイトが彼のことを気に入ってくれて,優しいから守ろうというクラスもありましたが,こういうのは,毎年状況が変わりました。一昨年が最良,去年が最悪,今年は中庸。必ずしも周囲が成長しているから大丈夫とかいう観測はありません。毎年博打みたい。もちろん癖のある個が一人でもいれば,引きずられて信じられない状況も発生します。
 暴力の性差については今は,ほとんどなかったりしますので,男女のイメージは良い方面も悪い方面も,既に意味をなさなくなっている状況にいきなり遭遇します。長男,次男が被害を受けた直接的暴力の相手の中には女子も居ました。特に次男に攻撃の的を絞ってきた相手は凄かった。DVも女性から男性へのものも,酷くやっかいですが,クラスメイトの手によるものは,それに近いものを小学生で食らうみたいな印象で,色々悩みました。最低限ケガしないように,手ほどきや,受け,くずして逃げるように教えようとしたら,相手女の子だし使えないと言われて彼を抱いて泣きました。
 相手の親から電話があったときに,必死の思いで,どうかお嬢さんの話を効いて上げて,ちゃんと見て上げてくださいというのが精一杯。全く恨み言を言わなかったのを感じ取ってくださったようで,一応その後収束しました。 子供の性向は親に被せられないとは思いますが,鍵を知らずに手に握っているのは,親だったりするとは思います。後,やはり子供のトラブル・シュートの場合,担任の先生の力量の影響は大きいと思います。子供がかかわっている社会構成員自体が,他にそんなにないから手が... (続きを読む)
satomies

pollyanna ぱれあな

返信先satomies
なんだか非常に興味深いタイプの子どもなので、追記。
*「ルール性に忠実」
もう中三なのに、赤信号では絶対に渡らない(車、来てねーよ)。
部活の試合で審判の判定に明らかな疑問があっても抗議しない(審判の判定は人間がするもので絶対ではないが、審判の判断に従うというのが試合のルール)。
*「加害側の被害に敏感」
加害側が周囲から必要以上に糾弾される可能性を危惧する。自分が被害側であっても同じ。どうも糾弾を「攻撃」ととらえる思考があるようで、「攻撃」はいわゆるルール違反になるモヨウ。その危惧のためには自分が我慢することも厭わない。
*「攻撃の被害に対して、後を引かない」
あんなことまでされたのに、もうチャラか?とかーちゃんが思うこと多し。「アレはもう終わったことだから」とあっさり。
*「闘争思考が薄い」
いわゆる「なんとかマン」的類には全く興味を示さず、「なにがおもしろいのかよくわからない」と真面目な顔で、また自分が人と関心が違うことを恥じるように告白してきた幼児期。手を出すケンカ経験はほぼ皆無。手を出されても出し返した試しが無い。「姉」がいるのにきょうだいゲンカの経験が無いことも関係しているかも。
逆にゲーム等の闘争思考、負けず嫌い感覚は強い。ルールが存在するゲームでの闘争は別になるモヨウ。体を使った「遊び」としての戦いごっこはけっこう好きだった。ただ「痛くしない」のルールは存在。
*「周囲の成長によって本人の扱われ方が変化」
攻撃されやすい、カモになりやすい。この手のキャラに対して周囲の扱いが小学校の高学年くらいから変化。「あの子は優しいから好きだ」と家庭で言っていると聞くことが増える。小学生くらいの男の子が男の子に対して「優しいから好き」という評価をもつことにものすごく驚いた。
本人ちっとも変わらないのに、周囲が変わっていったという感覚が正直なとこだと思う。
*「親の危惧」
な... (続きを読む)
satomies

pollyanna ぱれあな

返信先ぱれあな
よくわからないんだけれど、子どものキャラとしてルール性に忠実な子とルールに関しての逸脱に行ったり来たりする子がいると思う。
自分自身は逸脱に行ったり来たりしながら育った感覚があるんだけれど、ウチんちの坊やに関しては、まあ融通が利かないんじゃないかってほど、ルール性に忠実。
ここが子どもたちの成長の中で出てくるなんだかんだに関して「被害ばっか」になったポイントのようにも思う。つまりやり返さない。やられたくやしさはあっても、仕返し等に出てくる行為に関しては、根本でルール性としてはずれるから。
仕返しとして思いつく行為は、それは「してはいけないこと」というルール性に縛られる。
行動停止状態になるので、結局は、「ヒト」と「コト」の分離思考が自動的に始まるという感じ。
「育てた」意識は皆無で、最初っからこの人はこういう人だった。しかも頑固なほどに。びっくりびっくり。
変な話、道徳的とは真逆のことを促すようなことを言っても、ばしんとはねつけられたし、幼児期からずっと。
「ヒト」と「コト」を分離させて思考するというのは、痛みをもったときがきっかけになることは多いと思う。
それは自分自身の心に対しての防衛処理とも言えるかもしれない。
shino-katsuragi

pollyanna ぱれあな

返信先ぱれあな
同感です。Call ありがとうございました。


人間の成長というのは、ひどく複雑で、単純な因果関係だけで説明できるものではないと思っています。
子どもは工業製品のように作られるものではないし、ましてや製造者(生育者)の所有物でもない。


子どもは子ども自身として、親とはまったく別の人間として、自らの力で成長して行くのだと娘を見ていて思います。親や周りの大人が出来るのは、その手助け(あるいは妨害)だけなのではないか、とつくづく。

また、「親」であることに、これほどプレッシャーがかかっている時代はないのかもしれないと感じたりもします。おっしゃるとおり、親だけが子どもの成長に影響を与えているわけでもありませんし。
(ただ、学校が悪い、社会が悪いという言説も同時にあります。どちらにせよ「犯人探しをして何の益があるのさ?」と思ったり。このあたりは、まだ考え中なのですが。)

ただ、これは個人の経験からの思いなので、人それぞれになりすぎるということは分かっているのですが、まったく別の思いとして、「毒になる親」を変えようとすることは、エネルギーを投下し続けるにはあまりにも無益な行動でありすぎる、とも考えています。子どもにとっては、本心からの望みであるにかかわらず、です。
(親も、子どもからの影響、あるいは子どもの影響とは別のところでびっくりするほど変化する、ということもあったりはしますが、それを望むのは、あまりにも分が悪すぎます。)

だから、捨ててよい。
ひとりの親として、己が子どもにとって毒になる親であるならば、食いちぎり切り捨てて、逃げのび生き延びて、幸せになれ、と思います。親を捨てることは、もしかして傷になるかもしれない。だが、気にするな、と。気にしないでくれるのがわたしの望み。恐らく、わたし自身は自分からは離してやれないから、せめてそれぐらいは。まぁ、そんな殊勝なのは、た... (続きを読む)
pollyanna

pollyanna ぱれあな

子供ひとりしかいないし、まだ3歳なので、これから私の考えが変わる可能性はあるけれど、こうできたらいいなと今思っていることを。id:shino-katsuragiさんのハイクとも関連して。とりとめもなく。
 
子供ってびっくりするようなことしたり、平気で口に出しちゃったりするよね。たとえ3歳児でも。私自身もそういう記憶がうっすらとある。
でも、子供本人はいたってケロッとしている。(こっぴどく叱られる前までは)
当たり前だ。何が悪いか、なぜ悪いか、なんて、最初からわかって生まれてくる子なんていないもん。
 
自分がしたことで相手がどのように感じるか、ということだって、相手の表情を注意深く見たり、それを解釈して伝えてもらったりする経験を繰り返さなければ、わかるようにはならない。
子供という「ヒト」については、そういうもんだと思うしかない。
そういう「ヒト」なんだと。今、学びつつある、訓練しつつある「ヒト」なんだと。
(よく考えれば大人だって同じなんだけど、それはまあおいといて)
 
それとは別に、盗むことや叩くこと、意地悪することなどの悪い「コト」がある。それは悪い。ほんとうに悪い。
なぜなら、それはほかの人自身や、その人が大切にしているなにかを奪ったり傷つけたりして、「ヒト」を悲しませることだから、だと私は考えている。
そういう「コト」をしたことについて、心から悪いと思い、後悔する経験というのは絶対に必要だ。
 
 ただ、そういう悪い「コト」をした「ヒト」である子供と話すときには、「そんなことをするなんて、なんて悪い子なんだ」とは言いたくない。
 
 ついでに。
 
子供の不幸の原因をすべて親に帰するようなものいいには、ほんとによくお目にかかるのだけど、あえていえばそれは呪術的思考とのボーダーではないのか。
子供にひどい呪いをかける親がいることは承知している。そういう親... (続きを読む)
shino-katsuragi

pollyanna ぱれあな

返信先?I$ iz DEAD
私自身の成長した家庭では手をあげるのは父親で母は非言語コミュニケーションで他人を支配する人でした。だからって分かるなんて言えないし、いったら、サムイボが全身に立ちますが。

ありむーさんは、ヒトコトモノを分離する必要があるって知っているし、「好悪と是非と善悪」が区別するべきだって思っているし、どうやればよいのかも分かっているように思うのです。ついでに自分でやり切るだけの意志の強さもありそうだし。

もう、自分を許してあげてもよいのじゃないですかね。いくら血がつながっていても、父親の罪を贖う必要はないし、母親が幸せじゃないのは、子どものせいじゃないもの。
親は親で大人なんだから、自分の面倒は自分で見るべきなんです。

もう、自分が幸せになる意欲を持ってもいい頃、なのじゃないかな、と思います。(というか、これは、わたし自身のための呪文なのだけれど。まぁ、他者に効くかどうかは分かりません。)
BUNTEN

pollyanna ぱれあな

返信先ぱれあな
今突然、学生時代に自分の思想は「ヤケクソ的性善説」であるとか口走っていたのを思い出した。
ひでー目に逢い続けて不信にさいなまされて、不信に疲れた末にそれを反転したら楽になるのではないかと思いついたものなのでこんな名前になっている。
 
ちなみに、長期的な付き合いがある中での最優秀の戦略は、とりあえず相手を信じ、裏切られたら許さない、というものらしいと聞いたのはかなり後の話である。
shino-katsuragi

pollyanna ぱれあな

返信先ぱれあな
pollyannaさんのご意見にはまったく同感。
で、わたしはブクマに「[コミュニケーション][性善説]真善美。/「コト」や「モノ」と「ヒト」を分離するには訓練が必要だと思う。それを理解できるようになるためにヒトは学ぶ必要がある。/中学生ぐらいまでに叩き込んで欲しいのだー、というか親は叩き込むべきだろう」と書いた。
それから、時折、親として子どもにどんな環境を用意してやれるか?親として子どもにどのような態度を見せられるか?ということを考えている。

実生活でやる場合、子どもに「コト」や「モノ」を批判されても、それは「ヒト」(≒で親自身だね)を批判されたものではないという態度を示し、意見は意見として受け入れ、議論を議論として成り立たせることができるのだと、まず、親が示さなければならない。
同時に、子ども自身が「ヒト」(これは子ども自身)を「コト」や「モノ」を分離する態度を親が高く評価していることを理解してもらわなければならない。
たとえ、それぞれの立場により意見が違うとしても(立場により意見が違うのは当然なので)、agree to disagree (同意しないことを同意する)ことは可能であり、そのことで両者ともに相手に対する信頼を失うわけではない、そしてうまくいけば、そこを基点として新しい展開を築くことができるかもしれない、ということ。そういったことを、比較的若い時期に実感して欲しいと強く願う。

こういう訓練は、たぶん、最初から世間の荒波のなかでやるにはハードなので、基本的な信頼関係が成り立っている場で行うべきで、だとすれば親子関係から始めるのがよいと考えたのだけれど、実際にやるとなると、かなりハードルが高い。
個別のケースに落とした場合、わたし自身が「ああ言えばこう言うオンナ」であり、娘もまた、まだはっきりとは確信を持てないものの、おそらくはソレであり、わたし達はたとえ相手が誰であろ... (続きを読む)
pollyanna

pollyanna ぱれあな

自分がいいと思うやり方をとっているとき、その良さを主張する根拠として、違うやり方をしている「人」を否定する必要はないと思うんだ。
 
自分がいいと思うことがあって、それはダメだと思うことがある。
比較の必要なしに「これはいい!」と思えることがあれば楽だけど、たいていは比較した上で「こっちがいい」となる。
 
そこが陥穽になる。
 
あくまで、そのコト、そのモノどうしで比べれば済む話なのに、なぜかそのコトやモノを採用している「ヒト」どうしを比べがちで、それがトラブルのもとになる。
 
すべてが「ヒト」のmatterになるというのは、それだけヒトはヒトが好きで、期待しているんだ、ということの表れかもしれないと思えば切ない。そして息苦しい。
 
話はずれるけれど。
 
どれほど言葉を尽くしたとしても、思うことすべてを表現できるわけではない。
どんな人でも、語らずに背負い、胸に秘めていることの方が何倍も多いだろう。
 
相手の意図がつかめないとき、語られていないことを「善」に推測するか「悪」に推測するかで、相手との関係は変わってくる。
悪く取りたくなってしまうときでも、あえて善く取っていると、いつのまにか関係が良くなっていることが多い。
また、相手の意図や経験を低く見積もってあなどればあなどるほど、その見積もりがはずれたときの、自分のダメージは大きい。
 
私がとっている性善説やパレアナイズムは、功利的かつプラグマティックな生きるすべにすぎない。
(続きを読む)
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