花うさぎ
-----『夢のように、おりてくるもの』 第三部 「夢も見ない」3------
彼女の七つの夢見式から識(し)ってました。私の初仕事でしたから。祖父が私の披露目に用意したのがそれでした。けれど彼女の一族は納得しなかった。生きているうちに伝説と化した夢使いにあがないをさせたがった。私の家と彼女のそれは浅からぬ因縁がありましてね。いっときはあのお屋敷に住まわせられたこともあったそうだ。まあいってみれば郎党です。離反したのは御一新(ごいっしん)の時で、社の件で揉めたのです。お縄になった者がいるだけでなく、ひと独り死んでるそうです。まあ昔のはなしですけれどね。それでいて先の戦争の時に再び世話になったのですよ。飢えにはかないません。あちらは御大尽らしく鷹揚でした。
ああ、けっきょくは私が香音(かね)をおろしましたよ。この地上でもっとも馨しいそれを。初仕事でだいそれたことをやらかした私は順当に慢心しました。わが弟子のような謙虚さは小指の先ほどもなかったですね。艶福家の祖父を真似てそちらも派手にやりました。
あの子は、失礼、あなたには大切な恋人でしょうが、私にはただひとりの弟子なものでね。ゆうに一回りを越える年の差は、息子というには己(おれ)が稚(おさな)すぎたし弟と呼ぶにはあの子に可愛げというのが足らなかった。考えてもみてください、明らかにじぶんより出来る弟子を持つのは辛いものです。私は未熟すぎました。嫉妬もありましたがそれ以上にあの子の格別の才を己が腐らしたりしまいかと心配でした。手が離れてほっとしています。いや本当に。
あの子の突出した才のほとんどは、魘(えん)を扱う手つきにある。たいていの夢使いが触れるのを躊躇(ためら)うようなそれを初めから怖がりもせず鳴らしました。私にはとうてい出来ない芸当です。あの子の夢見式に立ち会ったのは祖父ですが、あからさまに興奮して帰ってきた。じぶんを超えるかもしれな... (Read more)
彼女の七つの夢見式から識(し)ってました。私の初仕事でしたから。祖父が私の披露目に用意したのがそれでした。けれど彼女の一族は納得しなかった。生きているうちに伝説と化した夢使いにあがないをさせたがった。私の家と彼女のそれは浅からぬ因縁がありましてね。いっときはあのお屋敷に住まわせられたこともあったそうだ。まあいってみれば郎党です。離反したのは御一新(ごいっしん)の時で、社の件で揉めたのです。お縄になった者がいるだけでなく、ひと独り死んでるそうです。まあ昔のはなしですけれどね。それでいて先の戦争の時に再び世話になったのですよ。飢えにはかないません。あちらは御大尽らしく鷹揚でした。
ああ、けっきょくは私が香音(かね)をおろしましたよ。この地上でもっとも馨しいそれを。初仕事でだいそれたことをやらかした私は順当に慢心しました。わが弟子のような謙虚さは小指の先ほどもなかったですね。艶福家の祖父を真似てそちらも派手にやりました。
あの子は、失礼、あなたには大切な恋人でしょうが、私にはただひとりの弟子なものでね。ゆうに一回りを越える年の差は、息子というには己(おれ)が稚(おさな)すぎたし弟と呼ぶにはあの子に可愛げというのが足らなかった。考えてもみてください、明らかにじぶんより出来る弟子を持つのは辛いものです。私は未熟すぎました。嫉妬もありましたがそれ以上にあの子の格別の才を己が腐らしたりしまいかと心配でした。手が離れてほっとしています。いや本当に。
あの子の突出した才のほとんどは、魘(えん)を扱う手つきにある。たいていの夢使いが触れるのを躊躇(ためら)うようなそれを初めから怖がりもせず鳴らしました。私にはとうてい出来ない芸当です。あの子の夢見式に立ち会ったのは祖父ですが、あからさまに興奮して帰ってきた。じぶんを超えるかもしれな... (Read more)
花うさぎ
-----『夢のように、おりてくるもの』 第三部 「夢も見ない」2------
おれは何気ない顔つきで本の頁を捲りながら盗み聞きしている。彼のすぐ近くで、その初恋の人との会話を。
伝説の、というのはこのひとの師匠の祖父にあたる夢使いで、たしか一万を超す人間に夢を饗したといわれる人物だ。資料館でみたかのひとの「階梯」は二階屋に届くほどのおおきさで見るものを睥睨し、その業績に相応しく偉大であった。いまなおおれの胸には横木縦木を金銀に煌めかす威容がとどまっている。あんなものを見たあとでその名を聞いては、さすがのおれも知らんふりではいられない。
おれが顔をあげたので、彼はこの場所でこれ以上会話を続けようか迷ったようだ。よくよく考えればこの会話は昔語りの類ではなかった。さらにいえば今夜はひさしぶりにふたりしてオフで、そろそろベッドへ移動したいと思っていたはずだ。そしてこのひとはそういうこちらの気持ちは察してくれているらしい。視線が、おれの頬のあたりをさまよった。おれなら目配せをするところだがこのひとはどうしたらいいか迷う。
その不器用な間に気づいた相手に何か言われたのか、髪を揺らして否定した。心なしか頬も赤い。おれが隣にいることを悟られたようだ。彼女は勘がいい。助かると言えば助かるが、少々不気味と言えなくもない。
そうこうする間に電話をおいた彼はふうっと肩で息をついた。立ち上がり、お茶を用意する。そのすぐそばに近づくために。おれはこの陽気になると熱いものを飲む気にならないが、このひとは真夏でも冷たい飲み物を好まない。
差し出した茶碗を受け取ってきちんと礼をいってから口をつける。おれはそういうこのひとの隣にしずかに腰をおろす。いきなり抱きついたりはしないし、だいたいのところは聴き取ったからこそ何も問わないでいた。
そういえば、このひとの師匠は見るからに喰えない男だった。長髪に着流し、帽子をあみだ... (Read more)
おれは何気ない顔つきで本の頁を捲りながら盗み聞きしている。彼のすぐ近くで、その初恋の人との会話を。
伝説の、というのはこのひとの師匠の祖父にあたる夢使いで、たしか一万を超す人間に夢を饗したといわれる人物だ。資料館でみたかのひとの「階梯」は二階屋に届くほどのおおきさで見るものを睥睨し、その業績に相応しく偉大であった。いまなおおれの胸には横木縦木を金銀に煌めかす威容がとどまっている。あんなものを見たあとでその名を聞いては、さすがのおれも知らんふりではいられない。
おれが顔をあげたので、彼はこの場所でこれ以上会話を続けようか迷ったようだ。よくよく考えればこの会話は昔語りの類ではなかった。さらにいえば今夜はひさしぶりにふたりしてオフで、そろそろベッドへ移動したいと思っていたはずだ。そしてこのひとはそういうこちらの気持ちは察してくれているらしい。視線が、おれの頬のあたりをさまよった。おれなら目配せをするところだがこのひとはどうしたらいいか迷う。
その不器用な間に気づいた相手に何か言われたのか、髪を揺らして否定した。心なしか頬も赤い。おれが隣にいることを悟られたようだ。彼女は勘がいい。助かると言えば助かるが、少々不気味と言えなくもない。
そうこうする間に電話をおいた彼はふうっと肩で息をついた。立ち上がり、お茶を用意する。そのすぐそばに近づくために。おれはこの陽気になると熱いものを飲む気にならないが、このひとは真夏でも冷たい飲み物を好まない。
差し出した茶碗を受け取ってきちんと礼をいってから口をつける。おれはそういうこのひとの隣にしずかに腰をおろす。いきなり抱きついたりはしないし、だいたいのところは聴き取ったからこそ何も問わないでいた。
そういえば、このひとの師匠は見るからに喰えない男だった。長髪に着流し、帽子をあみだ... (Read more)
花うさぎ
-----『夢のように、おりてくるもの』 第三部 「夢も見ない」1------
おれの恋人はケータイの呼出音には敏感だ。長い髪を揺らして立ち上がりすぐさまそれを手につかむ。ケータイへの連絡はそれ即ち夢使い稼業の依頼に他ならない。だが、ごく稀に仕事の件ではないこともある。今夜の電話はそのプライヴェートのほうらしい。名乗ることなく電話に出た。
あなたのお師匠さんにプロポーズされたんだけど、どう思う?
委員長? いきなりどう思うか聞かれても僕にはその……
こんなこと高校時代のクラスメイトに相談しちゃうあたしもどうかしてるんだけど、情けないことにこういうこと話せる友達いないのよ。それに弟子なんだからひととなりがわかってるでしょうし。
僕が知ってるのは夢使いの師匠としてのそれで夫とか恋人とか家庭人としてのそれじゃないと思うよ?
やけに冷静じゃないの?
君が求めてる情報を提供したつもりだけど。
……そのようね。
よかった。
あのね、巻紙に毛筆で書かれた釣書わたされて、また来週きますとかいって、夢使いの会合のために週一でこっちに来る予定があるのは初めに聞いてて、そのために服を選んでほしいって頼まれたのがそもそもの発端なんだけどね。
君、考える余地があるってこと?
……意外?
いや、そうは思わないよ。お似合いとまでは言わないけどね。あのとおり師匠はとんでもなくモテるひとだし君は君で厄介なひとだからふつうのサラリーマンと一緒になるのは難しいだろうなと。
厄介って酷い言われようね。けど、あの家に婿に入れってだけでけっこうめんどくさいことになるしねえ。そういうことも含めて、あのひとなら世知に長けてるしあの土地のことよくわかってるっていうのもある。そのことをさいしょにあたしに告げていった。要するに見切られてる。それから、どうしてかこのアパートを知ってて……あなたに聞いたんじゃないっていうし、... (Read more)
おれの恋人はケータイの呼出音には敏感だ。長い髪を揺らして立ち上がりすぐさまそれを手につかむ。ケータイへの連絡はそれ即ち夢使い稼業の依頼に他ならない。だが、ごく稀に仕事の件ではないこともある。今夜の電話はそのプライヴェートのほうらしい。名乗ることなく電話に出た。
あなたのお師匠さんにプロポーズされたんだけど、どう思う?
委員長? いきなりどう思うか聞かれても僕にはその……
こんなこと高校時代のクラスメイトに相談しちゃうあたしもどうかしてるんだけど、情けないことにこういうこと話せる友達いないのよ。それに弟子なんだからひととなりがわかってるでしょうし。
僕が知ってるのは夢使いの師匠としてのそれで夫とか恋人とか家庭人としてのそれじゃないと思うよ?
やけに冷静じゃないの?
君が求めてる情報を提供したつもりだけど。
……そのようね。
よかった。
あのね、巻紙に毛筆で書かれた釣書わたされて、また来週きますとかいって、夢使いの会合のために週一でこっちに来る予定があるのは初めに聞いてて、そのために服を選んでほしいって頼まれたのがそもそもの発端なんだけどね。
君、考える余地があるってこと?
……意外?
いや、そうは思わないよ。お似合いとまでは言わないけどね。あのとおり師匠はとんでもなくモテるひとだし君は君で厄介なひとだからふつうのサラリーマンと一緒になるのは難しいだろうなと。
厄介って酷い言われようね。けど、あの家に婿に入れってだけでけっこうめんどくさいことになるしねえ。そういうことも含めて、あのひとなら世知に長けてるしあの土地のことよくわかってるっていうのもある。そのことをさいしょにあたしに告げていった。要するに見切られてる。それから、どうしてかこのアパートを知ってて……あなたに聞いたんじゃないっていうし、... (Read more)
花うさぎ
-----『夢のように、おりてくるもの』 第三部 「夢見ることさえ忘れはて」5------
メールひとつで約束を無碍に断られる。そんなふうだから遊ばれているのはわかっていた。なのに当の相手から連絡があればあたしはそれに縋ってしまう。過去に付き合った男たちも実はこんな気持ちでいたのかと、今ごろになって酷いことをしていたと気がついた。
あのひとからの連絡が途絶えはじめて、あたしはますます食べなくなった。あのひとの女性らしい丸みのある柔らかなからだが欲しかった。抱かれるとほっとした。離れたくなかった。けれど逢いたいと重苦しいメールを送ればおくるほど相手の気持ちは遠ざかる。わかってはいたから自重した。そのぶん鬱屈がたまりよく吐いた。
仕事にも厭きていた。これが本当にじぶんのやりたかったことなのかと幾度も問うていた。でも、恋人に愛想を尽かされて仕事まで中途半端ではあまりにも情けない。都合のいいことにお昼はひとりにされたので仕事が捗った。あのひとは、仕事の出来ないひとは嫌いといつも口にしていた。
そのせいなのか、「お守り」は手放せないでいた。大きな企画の前など手許にないと膝から崩れるような気持ちになり、会社のちかくのコンビニに走った。表通りの向こうにあるお店にはいつも在庫があった。ここまでは会社のひとも来ないので足を運びやすい。
そこで、まさか夢使いの彼に再会するとはおもってもみなかった。
何度か通った。彼がいるかどうか確かめるために店の前を通り過ぎるだけのこともした。すぐに声をかけなかったのは、無視されているのかと感じたから。そうじゃないと気づくのに時間がかかった。臆病だった。
彼に思い切って話しかけたあと、洒落た眼鏡をかけた店長さんが見るに見かねたのかあたしに言った。また来てあいつと話してやってほしいと。ふだんなら余計なお節介と感じたかもしれない。けれどそのときは素直に頷いた。羨ましい... (Read more)
メールひとつで約束を無碍に断られる。そんなふうだから遊ばれているのはわかっていた。なのに当の相手から連絡があればあたしはそれに縋ってしまう。過去に付き合った男たちも実はこんな気持ちでいたのかと、今ごろになって酷いことをしていたと気がついた。
あのひとからの連絡が途絶えはじめて、あたしはますます食べなくなった。あのひとの女性らしい丸みのある柔らかなからだが欲しかった。抱かれるとほっとした。離れたくなかった。けれど逢いたいと重苦しいメールを送ればおくるほど相手の気持ちは遠ざかる。わかってはいたから自重した。そのぶん鬱屈がたまりよく吐いた。
仕事にも厭きていた。これが本当にじぶんのやりたかったことなのかと幾度も問うていた。でも、恋人に愛想を尽かされて仕事まで中途半端ではあまりにも情けない。都合のいいことにお昼はひとりにされたので仕事が捗った。あのひとは、仕事の出来ないひとは嫌いといつも口にしていた。
そのせいなのか、「お守り」は手放せないでいた。大きな企画の前など手許にないと膝から崩れるような気持ちになり、会社のちかくのコンビニに走った。表通りの向こうにあるお店にはいつも在庫があった。ここまでは会社のひとも来ないので足を運びやすい。
そこで、まさか夢使いの彼に再会するとはおもってもみなかった。
何度か通った。彼がいるかどうか確かめるために店の前を通り過ぎるだけのこともした。すぐに声をかけなかったのは、無視されているのかと感じたから。そうじゃないと気づくのに時間がかかった。臆病だった。
彼に思い切って話しかけたあと、洒落た眼鏡をかけた店長さんが見るに見かねたのかあたしに言った。また来てあいつと話してやってほしいと。ふだんなら余計なお節介と感じたかもしれない。けれどそのときは素直に頷いた。羨ましい... (Read more)
花うさぎ
------ 駄菓子 -----
「駄」とは太った馬と書く。
ならそれは存在理由がないか、かなり不足の状態であるか、
そういう不名誉な冠なのだろう。
さて、「駄菓子」と聞いて何を想うだろう。
そのこたえひとつからでも食文化と時代が嗅ぎ取れる。
(「チョコ」や「クッキー」というカタカナに「ハレ」を見る私には
「コンビニ」で買う駄菓子というのがすでに意味不明なのだがw)
駄菓子屋が私の視界から消えて久しい。
奪ったのは神戸の震災だ。
いずれ消えゆくさだめではあったが、あれさえなければ
わが子が「駄菓子」について親との共有概念をはぐくむくらいの猶予はあったはずだ。
災いはとてつもない力で時計の針を一気にすすめる。
人はなかなか追いつけなくて、その差分をメランコリーで満たすのだ。

今、日本にはそんな気持ちで佇むひとがたくさん居る。
捨てようと思うよりさきに、奪われてしまったひと。
そういう気持ちに寄り添う余裕を失わずにいたい。
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花うさぎ
-----『夢のように、おりてくるもの』 第三部 「夢見ることさえ忘れはて」4------
わざとらしく固められた髪を丁寧に二度洗いする。嗚咽はシャワーの音にかき消され泡とともに流れいく。なぜ泣かなければいけないのかわからない。初めての男に遇ったから。ちがう。従兄が結婚するから。違うチガウ、そうじゃない。あんな男たちがじぶんの知らないところで勝手に幸せになっていることくらい、気にならない。
けど、
あのひとはシアワセだろうか。
不幸でいて欲しいと呪った。ほんの少しだけでいいから。
ほんの少しでいいから、あたしのことを、痛みとともに思い出して欲しい。忘れないでほしい。長引かなくていい。長引かせるほどの痛みで彼女の将来を曇らせたくはない。でも、それでも……忘れられたくない。あのひとにだけは、忘れられたくない。
あたしはまだ、あのひとの幸福を願えないでいる。別れ際でさえ、けっして幸せそうではなかったひとなのに。
男はいい。勝手にどうとでも生きていく。あれほど繊細で美しい絵を描こうとも伴侶の荒れた手をそのままにしておけるくらいには無頓着で、追い詰められでもしない限り決断することすら出来ない。従兄の恋人が妊娠している情報は得ていた。母はもう、それを知っている。今朝家を出る前に耳打ちされた。責任を取るだけましと肩をすくめ、今日あたりあなたのところにご機嫌伺いにくることでしょうよ、と。
そのとおりになった。
母は勘が鋭い。
なんにでも先回りされ、行く手を塞がれる。先生と別れたとき、従兄をよこしたのは母だった。親が出ていくと問題になるもの、あちらさまにもご迷惑でしょうと何年もたってから涼しい顔であかされる。妊娠でもさせられたらどうするつもりだったのかしらと呟いた横顔に、あたしは俯いてただ赤面しただけだった。堕ろすに決まってる、そう言えるだけの覚悟もない。けれど、あたしを生むまで何度も流産して... (Read more)
わざとらしく固められた髪を丁寧に二度洗いする。嗚咽はシャワーの音にかき消され泡とともに流れいく。なぜ泣かなければいけないのかわからない。初めての男に遇ったから。ちがう。従兄が結婚するから。違うチガウ、そうじゃない。あんな男たちがじぶんの知らないところで勝手に幸せになっていることくらい、気にならない。
けど、
あのひとはシアワセだろうか。
不幸でいて欲しいと呪った。ほんの少しだけでいいから。
ほんの少しでいいから、あたしのことを、痛みとともに思い出して欲しい。忘れないでほしい。長引かなくていい。長引かせるほどの痛みで彼女の将来を曇らせたくはない。でも、それでも……忘れられたくない。あのひとにだけは、忘れられたくない。
あたしはまだ、あのひとの幸福を願えないでいる。別れ際でさえ、けっして幸せそうではなかったひとなのに。
男はいい。勝手にどうとでも生きていく。あれほど繊細で美しい絵を描こうとも伴侶の荒れた手をそのままにしておけるくらいには無頓着で、追い詰められでもしない限り決断することすら出来ない。従兄の恋人が妊娠している情報は得ていた。母はもう、それを知っている。今朝家を出る前に耳打ちされた。責任を取るだけましと肩をすくめ、今日あたりあなたのところにご機嫌伺いにくることでしょうよ、と。
そのとおりになった。
母は勘が鋭い。
なんにでも先回りされ、行く手を塞がれる。先生と別れたとき、従兄をよこしたのは母だった。親が出ていくと問題になるもの、あちらさまにもご迷惑でしょうと何年もたってから涼しい顔であかされる。妊娠でもさせられたらどうするつもりだったのかしらと呟いた横顔に、あたしは俯いてただ赤面しただけだった。堕ろすに決まってる、そう言えるだけの覚悟もない。けれど、あたしを生むまで何度も流産して... (Read more)
花うさぎ
-----『夢のように、おりてくるもの』 第三部 「夢見ることさえ忘れはて」3------
二次会で何人かの男のメアドはありがたくいただいた。手際のいい相手はこちらのそれも持っていった。送るといわれて丁重にお断りをいれたのにしつこくされて眉をひそめたところで肩越しに声がかかる。
こんな遅くにも着崩れた様子のないスーツ姿でやってきた従兄の腕をとる。困り事があると勝手に出てきて物事を解決してくれる、便利だけどうざったい人。
よさげな相手もいたけれど、これで続きはなしになった。それもめんどうがなくて悪くはない。たぶん。
じつは、結婚しようかと思って。
相手がじぶんではないことは察した。その横顔をみた。
「伯母さんに、なんていうかなと」
「……なんとでも、正直にいえば」
「おまえは平気か」
視線はあわなかった。あたしは黙って窓の外を眺めた。景色は変わらなかった。家を出てからもずっと、このへんは変わらない。この一帯はそれこそ千年遡ろうと我が家の土地だった。戦後解放されたとはいえまだ広い。母が売らなければ変わりようもない。
「伯父さんも伯母さんも心配してたぞ。たまには用事がなくても帰って来い」
煩わしさに笑った。笑えて仕方がなかった。
「帰ったって、あたしの居場所なんかないじゃない」
「そんなことあるか。ふたりしておまえの好きなもの用意して待ってるじゃないか」
「だから、そうじゃなくて。お互いの好きなものを揃えておけばいいのに」
「それが出来たら、ああじゃないだろう」
あたしのため息は、従兄のそれに重なった。
「おまえ、いま彼氏いるか」
「いない。半年前に別れた」
「半年あくのは珍しいな」
意外そうに眉がひらく。
「総合職になってから仕事、忙しくて」
男に厭きたといえるほど知りもしない。それに、あいた半年のあいだには「彼女」がいた。つい先日こどもができたからといって関係を打ち切られた。... (Read more)
二次会で何人かの男のメアドはありがたくいただいた。手際のいい相手はこちらのそれも持っていった。送るといわれて丁重にお断りをいれたのにしつこくされて眉をひそめたところで肩越しに声がかかる。
こんな遅くにも着崩れた様子のないスーツ姿でやってきた従兄の腕をとる。困り事があると勝手に出てきて物事を解決してくれる、便利だけどうざったい人。
よさげな相手もいたけれど、これで続きはなしになった。それもめんどうがなくて悪くはない。たぶん。
じつは、結婚しようかと思って。
相手がじぶんではないことは察した。その横顔をみた。
「伯母さんに、なんていうかなと」
「……なんとでも、正直にいえば」
「おまえは平気か」
視線はあわなかった。あたしは黙って窓の外を眺めた。景色は変わらなかった。家を出てからもずっと、このへんは変わらない。この一帯はそれこそ千年遡ろうと我が家の土地だった。戦後解放されたとはいえまだ広い。母が売らなければ変わりようもない。
「伯父さんも伯母さんも心配してたぞ。たまには用事がなくても帰って来い」
煩わしさに笑った。笑えて仕方がなかった。
「帰ったって、あたしの居場所なんかないじゃない」
「そんなことあるか。ふたりしておまえの好きなもの用意して待ってるじゃないか」
「だから、そうじゃなくて。お互いの好きなものを揃えておけばいいのに」
「それが出来たら、ああじゃないだろう」
あたしのため息は、従兄のそれに重なった。
「おまえ、いま彼氏いるか」
「いない。半年前に別れた」
「半年あくのは珍しいな」
意外そうに眉がひらく。
「総合職になってから仕事、忙しくて」
男に厭きたといえるほど知りもしない。それに、あいた半年のあいだには「彼女」がいた。つい先日こどもができたからといって関係を打ち切られた。... (Read more)
花うさぎ
-----『夢のように、おりてくるもの』 第三部 「夢見ることさえ忘れはて」2------
結婚式の二次会が始まる前に、バッグにしのばせていた「お守り」を便器に流した。チョコレートクッキー。あのひとが、あたしにさいしょにくれたもの。取引先が主催するパーティー会場で、こういう場所で我先にと皿をいっぱいにする女はみっともないわよねといきなり悪口を聞かされながら。
ごくたまに、こういう駄菓子が欲しくなる。どこででも買えて、すぐ口にほうりこめるから。
あのひとはそういって、パティシエが拵えた愛らしいデザートを脇においた。IT企業の社長夫人。年が年だしもうこどもは産めないかもしれないとこぼしていた。それに夫とはずっとしてないからと呟いた。横顔に不満という名のさびしさがはりついていて、誘われたのだとすぐわかった。
寝るのはかんたんだった。酔い覚ましにお茶をしないかと部屋に誘われた。あたしはいいかげん職場自体に飽きていた。どうせ結婚すればやめるのだろうと嫌味をいわれ女性社員たちからは遠ざけられストレスで肌が荒れた。生まれて初めてひどく醜い吹き出物ができて皮膚科にせっせと通っていたころのころだ。
胸のあいたドレスを着るとやたら目立つ位置にあるそれを、爪の先で弄られながら責められた。さわらないで、ひどくなるから。あたしはそう抵抗した。でも彼女は微笑んだ。膿んで紅く腫れあがったそここそが可愛いと褒めた。そのことばを耳にして変におかしくなった。黒のミニドレスに染みがつくのが怖かった。あとでちゃんとクリーニングに出してあげるからと着たままされた。こんなに綺麗なひとがあたしを欲しがっていると思うとかつて感じたことのないほどの羞恥に襲われた。身悶えして泣いて恥ずかしがったあたしを彼女はやさしく宥めた。あたしは、甘えきって声をあげた。白くなめらかな柔らかい肌にくるまれて思うさま啼いた。
そういえば、彼女は... (Read more)
結婚式の二次会が始まる前に、バッグにしのばせていた「お守り」を便器に流した。チョコレートクッキー。あのひとが、あたしにさいしょにくれたもの。取引先が主催するパーティー会場で、こういう場所で我先にと皿をいっぱいにする女はみっともないわよねといきなり悪口を聞かされながら。
ごくたまに、こういう駄菓子が欲しくなる。どこででも買えて、すぐ口にほうりこめるから。
あのひとはそういって、パティシエが拵えた愛らしいデザートを脇においた。IT企業の社長夫人。年が年だしもうこどもは産めないかもしれないとこぼしていた。それに夫とはずっとしてないからと呟いた。横顔に不満という名のさびしさがはりついていて、誘われたのだとすぐわかった。
寝るのはかんたんだった。酔い覚ましにお茶をしないかと部屋に誘われた。あたしはいいかげん職場自体に飽きていた。どうせ結婚すればやめるのだろうと嫌味をいわれ女性社員たちからは遠ざけられストレスで肌が荒れた。生まれて初めてひどく醜い吹き出物ができて皮膚科にせっせと通っていたころのころだ。
胸のあいたドレスを着るとやたら目立つ位置にあるそれを、爪の先で弄られながら責められた。さわらないで、ひどくなるから。あたしはそう抵抗した。でも彼女は微笑んだ。膿んで紅く腫れあがったそここそが可愛いと褒めた。そのことばを耳にして変におかしくなった。黒のミニドレスに染みがつくのが怖かった。あとでちゃんとクリーニングに出してあげるからと着たままされた。こんなに綺麗なひとがあたしを欲しがっていると思うとかつて感じたことのないほどの羞恥に襲われた。身悶えして泣いて恥ずかしがったあたしを彼女はやさしく宥めた。あたしは、甘えきって声をあげた。白くなめらかな柔らかい肌にくるまれて思うさま啼いた。
そういえば、彼女は... (Read more)
花うさぎ
--------- 傘 -------------

傘が、美しいものだと思ったこともなく
つまり 実用性以外のことをかんがえて選ぶ習慣がなく
それは 貧しかったからというのが一番の理由に違いないんだけれど。
彼女が自分の傘を「綺麗だから好き」と言ったとき
私は自分の気持ちに驚いた。
私が美しいと思う彼女が美しいと言う傘。
傘のほかにも彼女の目はしょっちゅう美しいものを映し出すのだった。
そうして
「美しい」ということの支配に気づくと、
おおかたの人間は生きているのが辛くなる。
辛くなった。
ずいぶんと遅い気づきだったと思う。
でも、遅かったぶんだけ悩む月日も普通の少女より軽く済んだかもしれない。
いや、軽く済ませたつもりで、実際のところ何も済んではいないのかもしれないのだが。
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花うさぎ
-----『夢のように、おりてくるもの』 第三部 「夢見ることさえ忘れはて」1------
あかちゃんができた。
あのひとはそう口にした。旦那とはしてないって言ったのに。
うそつき。
あたしはそう罵らなかった。かわりに、おめでとうと返した。すると彼女はほっとしたようにテーブルのうえで組み合わせていた指をひらいた。上品なネイル。その睫の長さ、ごく丁寧に入れられたアイライン、それ相応の年なのにしみひとつ、しわひとつない肌を眺めた。これが最後だと思いながら。
その、いかにも贅沢に拵えられた女のすべてを眼に焼きつけようと見つめた。
そういえば、あたしのあごのラインにできた吹き出物を、彼女だけが愛してくれた。男たちの誰もが褒めた肌でなく、あたしの穢れをよろこんだ。
あたしが処女でなくなったのは高校生のときのこと。絵の先生のお屋敷で。棚に並べられた岩絵具が目の端でひかるのを愉しんでいた。あたしは美大に行くはずだった。とりやめたのは、先生があたしと結婚したがってストーカーまがいのことを始めたから。先生はそこの日本画講師だった。いまは教授になっただろうか。
級友の結婚式でひさかたぶりに地元に帰り、ホテルで先生と出くわした。個展会場には奥様もいらした。結婚されたのはうわさで聞いていた。でも、どんな人かは知らなかった。手の込んだ染めの訪問着をお召しなのに主婦だとすぐわかるほど指先は荒れていた。
まあ、こんな綺麗なお嬢さんが生徒さんだったなんて。
振袖をきたあたしは娘らしく、含羞をたたえて微笑みを浮かべた。このひとは、あたしと先生のことを知らない。そうとも思えなかった。女というものはおしなべてみな勘がいい。会場に集うひとたちの話し声をかいつまむと、奥様は著名な染色作家の娘だった。お見合い結婚。その言葉が耳にはいってすぐ、後ろから声がかかる。
元気にしてましたか。どうしてるかと。
... (Read more)
あかちゃんができた。
あのひとはそう口にした。旦那とはしてないって言ったのに。
うそつき。
あたしはそう罵らなかった。かわりに、おめでとうと返した。すると彼女はほっとしたようにテーブルのうえで組み合わせていた指をひらいた。上品なネイル。その睫の長さ、ごく丁寧に入れられたアイライン、それ相応の年なのにしみひとつ、しわひとつない肌を眺めた。これが最後だと思いながら。
その、いかにも贅沢に拵えられた女のすべてを眼に焼きつけようと見つめた。
そういえば、あたしのあごのラインにできた吹き出物を、彼女だけが愛してくれた。男たちの誰もが褒めた肌でなく、あたしの穢れをよろこんだ。
あたしが処女でなくなったのは高校生のときのこと。絵の先生のお屋敷で。棚に並べられた岩絵具が目の端でひかるのを愉しんでいた。あたしは美大に行くはずだった。とりやめたのは、先生があたしと結婚したがってストーカーまがいのことを始めたから。先生はそこの日本画講師だった。いまは教授になっただろうか。
級友の結婚式でひさかたぶりに地元に帰り、ホテルで先生と出くわした。個展会場には奥様もいらした。結婚されたのはうわさで聞いていた。でも、どんな人かは知らなかった。手の込んだ染めの訪問着をお召しなのに主婦だとすぐわかるほど指先は荒れていた。
まあ、こんな綺麗なお嬢さんが生徒さんだったなんて。
振袖をきたあたしは娘らしく、含羞をたたえて微笑みを浮かべた。このひとは、あたしと先生のことを知らない。そうとも思えなかった。女というものはおしなべてみな勘がいい。会場に集うひとたちの話し声をかいつまむと、奥様は著名な染色作家の娘だった。お見合い結婚。その言葉が耳にはいってすぐ、後ろから声がかかる。
元気にしてましたか。どうしてるかと。
... (Read more)
花うさぎ
というわけで、
店長のおはなし「多分、夢のように」はこれにておしまいでございます
シリーズちう、実はいちばんの「萌えキャラ(!?)」であると判明してしまったみたいな店長ですが、どうぞ今後とも弄り倒していただければ幸いに存じます、いやまじでまじでまじでv
まあそれはともかく、
第三部は短編連作みたいな形でそれぞれに主役を交代させながらゆるゆるやっていく予定です
てなわけで、
次回はいいんちょですv
おったのしみに~♪
店長のおはなし「多分、夢のように」はこれにておしまいでございます
シリーズちう、実はいちばんの「萌えキャラ(!?)」であると判明してしまったみたいな店長ですが、どうぞ今後とも弄り倒していただければ幸いに存じます、いやまじでまじでまじでv
まあそれはともかく、
第三部は短編連作みたいな形でそれぞれに主役を交代させながらゆるゆるやっていく予定です
てなわけで、
次回はいいんちょですv
おったのしみに~♪
花うさぎ
-----『夢のように、おりてくるもの』 第三部 「多分、夢のように」3------
たいていの夢使いは七つの夢見式にその才を見出してくれた者を師匠とする。だが、俺の娘のあがないに立ち会った夢使いはその成長を最後まで見守れないかもしれないと告げてきた。病が進行していた。
両親は別れ、師匠は倒れるでは娘の将来はどうなることかと危ぶまないではない。まあ、俺の娘なのだからほんとうのところ心配なぞしていない。する必要もない。かわりの師匠はこれ以上ない「逸材」を用意した。親がなくても子は育つ。そういうもんだ。
そうひとりごちてはみたものの、そうした人並みの親らしい感情があることの嘘くささに浮き足立つ。あの子を邪魔に思ったこともあるくせに、いざ離れ、夢使いになぞなると聞いて妙に気にした風を装おうとする。あながちそれが演技とばかりは言えそうもない。訳の分からなさに戸惑っている。
そんな俺をあの男は見透かしてわらう。わらえばいい。それだけの仕事をしているのだから。夢使いの会合を設け着々とこの視界を動かしている。俺はひそかに自身の未熟に歯噛みする。勤め人だったころ少しは知られた仕事をしたつもりでいたが、特に何も成してなどいなかったのだ。とはいえべつにそれで悪かろうはずもない。俺は俺に出来ることをするだけだ。
俺には父親がいない。女手一つで育ててくれた母は、孫の顔を見せてくれたと泣いて喜んだ次の月にあっけなく逝った。母は俺が離婚したと知らない。母がいたら別れられなかった。いい大学に入りいい会社に勤めたのも母のためで、生まれのいい美しい妻を得たのもその望みだ。
妻は別居の際に俺をマザコンでファザコンだと罵った。俺は片頬でわらった。じゃあ俺たちは似た者同士だと。頬に散った朱は殊更になまめかしかったがそれまでだ。
ふとしたとき、父があの男に似ていると感じていたのも言い訳の仕様もない事実だ。写真で見る父はたい... (Read more)
たいていの夢使いは七つの夢見式にその才を見出してくれた者を師匠とする。だが、俺の娘のあがないに立ち会った夢使いはその成長を最後まで見守れないかもしれないと告げてきた。病が進行していた。
両親は別れ、師匠は倒れるでは娘の将来はどうなることかと危ぶまないではない。まあ、俺の娘なのだからほんとうのところ心配なぞしていない。する必要もない。かわりの師匠はこれ以上ない「逸材」を用意した。親がなくても子は育つ。そういうもんだ。
そうひとりごちてはみたものの、そうした人並みの親らしい感情があることの嘘くささに浮き足立つ。あの子を邪魔に思ったこともあるくせに、いざ離れ、夢使いになぞなると聞いて妙に気にした風を装おうとする。あながちそれが演技とばかりは言えそうもない。訳の分からなさに戸惑っている。
そんな俺をあの男は見透かしてわらう。わらえばいい。それだけの仕事をしているのだから。夢使いの会合を設け着々とこの視界を動かしている。俺はひそかに自身の未熟に歯噛みする。勤め人だったころ少しは知られた仕事をしたつもりでいたが、特に何も成してなどいなかったのだ。とはいえべつにそれで悪かろうはずもない。俺は俺に出来ることをするだけだ。
俺には父親がいない。女手一つで育ててくれた母は、孫の顔を見せてくれたと泣いて喜んだ次の月にあっけなく逝った。母は俺が離婚したと知らない。母がいたら別れられなかった。いい大学に入りいい会社に勤めたのも母のためで、生まれのいい美しい妻を得たのもその望みだ。
妻は別居の際に俺をマザコンでファザコンだと罵った。俺は片頬でわらった。じゃあ俺たちは似た者同士だと。頬に散った朱は殊更になまめかしかったがそれまでだ。
ふとしたとき、父があの男に似ていると感じていたのも言い訳の仕様もない事実だ。写真で見る父はたい... (Read more)

























