教育とは何か
教育は生き方をつたえるこころみと書いたが、論証の(を)矛盾なく言いおおせるためには、生き方の中にあるものとして死に方を強引にひっくるめてしまい、死に方もまなぶことであり、くずれゆく過程でもあると言いたい。
鶴見俊輔、教育再定義の試み、岩波現代文庫、2010, P41。本文は1999年、77歳の鶴見)
鶴見俊輔、教育再定義の試み、岩波現代文庫、2010, P41。本文は1999年、77歳の鶴見)
生き甲斐
生き甲斐とは、目標に向かって突き進むプロセス=努力と行動を表現する言葉である。目標に到達して、達成感を味わった次の瞬間には「生き甲斐」という歓びの感情は消滅せざるをえない。もしその倦怠と虚脱感から逃れたいと思ったら、次なる目標を具体的に設定し、目標を見据えて再び歩き出すしかないだろう。
充実した人生とはそのような行動をさす。そして目標は、可能な限り具体的=例えば数字あることが必要で、しかも目標到達には明確な期限が設定されていなければならない。(丸山真男、人生の対話、中野雄、文春新書、p251)
充実した人生とはそのような行動をさす。そして目標は、可能な限り具体的=例えば数字あることが必要で、しかも目標到達には明確な期限が設定されていなければならない。(丸山真男、人生の対話、中野雄、文春新書、p251)
科学の「進歩」
科学の「進歩」という概念は、必ずしも人間的価値の実現とか、それ自身いいものであるとか、ないとかいうこととは別に、人間社会の進歩というようなこととは直接むすびつけないで、定義できるのではないでしょうか。知識がだんだん増大して、より美しくより単純な形でその知識が叙述され、それによって自然をコントロールする力が増大すること、これをかりに「進歩」というーー(歴史・科学・現代、加藤周一対談集、筑摩書房、p135)
ウィフィーを増やす5つの原則
ウィフィーを増やす5つの原則--大声でわめくのをやめる。オンライン・コミュニティーの一員になる。わくわくするような体験を創造する。無秩序を受け入れる。そして高い目標を見つける。(ツィッターノミクス。タハラント著、村井章子訳、津田大介解説、文芸春秋 2010)
幸福の構成要素
アメリカ心理学会はーー人が幸福を感じるのは四つの要素のいずれかが成り立つときであるとの結論に達した。その四つとは、自らの力で状況を変えられること、問題の解決や願望の実現を通じて自分の能力を確信できること、家族や友人との結びつきを実感すること、自分を信頼し誇りを持つことである。最初の三つの要素は自分と外との関係に依存するが、第四の要素だけは、自分の内に存在する.(タラハント著、村井章子訳、ツイッターノミクス、文藝春秋p179)
取得権と既得権
ローマ市民権とは既得権ではなく、得ようと思う人には門戸は開かれていた取得権であることに特色があったのだが、それを重視するのはリベラリズムの立場である。そのリベラルな考えに立っていた「取得権」を「既得権」に変えたのが、カラカラの「アントニヌス勅令」だった。ローマは、ローマである理由を少しずつ、自らの手で失いつつあったのである(ローマ人の物語32「迷走する帝国」(上)塩野七生、新潮文庫p139)
美しい稜線
私の持論「科学における高い峰と拾い裾野」と同主旨の意見が、私がファンでもある福岡氏の意見でもあり、こころ強く思った。以下。
科学の歴史のなかで、ノーベル賞受賞者や偉人伝に載るような科学者を高い山だとすれば、山の稜線が高みをもって、美しく見えるのはすそ野や山塊が豊かにあるからです。何がしかの真実を明らかにしたのに、産業上の進歩に結びつかず、一編の論文となって図書館の片隅に沈殿したままの研究はごまんとあります。人間にとって実は、その沈殿の厚み、山塊の豊かさが大事なのです。(福岡伸一、朝日新聞、2010/4/3/b3 フロントランナー)
科学の歴史のなかで、ノーベル賞受賞者や偉人伝に載るような科学者を高い山だとすれば、山の稜線が高みをもって、美しく見えるのはすそ野や山塊が豊かにあるからです。何がしかの真実を明らかにしたのに、産業上の進歩に結びつかず、一編の論文となって図書館の片隅に沈殿したままの研究はごまんとあります。人間にとって実は、その沈殿の厚み、山塊の豊かさが大事なのです。(福岡伸一、朝日新聞、2010/4/3/b3 フロントランナー)
大義と組織
もともと無理なことを大義として掲げてしまうと組織は動きが取れなくなる。安全弁が固着して中の圧力が抜けなくなる。そうして自壊する。だから、私はさっき、やめたくなったらやめていいと言ったんだ。やめる者を引き留めはしない。それが運動を健全に進めるために大事な条件なんだよ。やめたいものがやめるのはその一人のためでなく、運動全体のやめでもある。軍隊と我々の違いでもあるし(カデナ/池澤夏樹 新潮社, 0345 知花先生のことば)
涙の数と幸福
流した涙はどちらが多いか少ないかなどという、人との比較の中に幸せはない。廣子さんにも、きっとヨシノの知らない悲しみがたくさんあったであろう。年をとって心の中のファインダーに曇りがなくなったヨシノに、ほうき星は美しく輝いていた。
(背信—待ち続けたラビレター/森久美子 共同文化社 346)
(背信—待ち続けたラビレター/森久美子 共同文化社 346)
学者
学者は<世界のあらゆるものの在り方を究め、1つのレコード(記録)を作ることに興味と使命を感じているのである。ガリレオが地動説を唱えたが、ああしたレコードを探求する意味は、世上にあるすべてのことを明らかにするのが目的であって、人類は次から次へとレコードをつくってゆくことによって進歩発展する。(昭和天皇、朝日新聞10/1/8朝刊磯田道史 この人この言葉より)
上等 中等 下等
お前さんも知っておいでの山根中尉の云うのに人間には上等中等下等がある。自分のために人にめいわくをかけて居るのが下等で自分丈の事をよく始末して行くのが中等で自分のことを始末した上に人の世話をしてやるようになれば上等だと云っていた。なかなかうまいことを云ったものだ。(森鴎外が妻しげ子へあてた手紙、半藤一利、恋の手紙 愛の手紙 文春新書p.132より)
親友
あの人はいい友達だったと誰かを思えるようになるのは、おそらく人生もずっと後半になってからでしょう。ーー生き抜いてみないと、縁というものはわかりません。ーー、親友といういう概念で人をふるい分けるのではなく、出会う人と自然に接していくのはどうでしょう。ゆるい気持ちでいれば、時の流れの中でおのずと友は残っていくものだと思いますよ(朝日新聞2009/8/29夕刊、こころ、創作家、明川哲也、札幌の女子高校生に答えて)
部分、世界、因果関係
この世界のあらゆる要素は、互いに連関し、すべてが一対多の関係でつながりあっている。つまり世界に部分はない。部分と呼び、部分として切り出せるものもない。そこには輪郭線もボーダーも存在しない。そして、この世界のあらゆる因子は、互いに他を律し、あるいは相補している。物質・エネルギー・情報をやりとりしている。そのやりとりには、ある瞬間だけを捉えてみると、供し手と受け手があるように見える。しかし、その微分を解き、次の瞬間を見ると、原因と結果は逆転している。あるいは別の平衡を求めて動いている。つまり、この世界には、本当の意味で因果関係と呼ぶべきものもまた存在しない。世界は分けないことにはわからない。しかし、世界は分けてもわからないのである。(福岡伸一、世界は分けてもわからない、エピローグ、講談社現代新書p274)
リアリスティックとパセティック
パトス(情念)の過剰は、政治や軍事においてのみではなく、芸術においても欠点となりうることが納得いったのである。
(塩野七生、ローマ人の物語30 終わりのはじまり[中]新潮文庫43P トライアヌスの円柱と比較してマルクス・アウレニウスの円柱の一言で表現)
(塩野七生、ローマ人の物語30 終わりのはじまり[中]新潮文庫43P トライアヌスの円柱と比較してマルクス・アウレニウスの円柱の一言で表現)
説明
説明しなくてはわからないということは、説明してもわからないということだ、と父親がどこかで言った。(村上春樹、1Q84Book2 新潮社p.454)
生け花とフラワーアレンジメント
「フラワーアレンジメントは花によって空間を埋めようとするのですが、生け花は花によって空間を生かそうとするのです」草月流/福島光加のことば 長谷川櫂 和の思想、異質なものを共存させる力、中央公論社83p
生命とは、進化とは
「生命とは、動的な平衡状態にあるシステムである。可変的でサスティナブルを特徴とする。」「変化ーーの軌跡と運動のあり方を、ずっと後になって「進化」と呼べることに、私たちは気づくのだ。」
(動的平衡、福岡伸一、木楽舍,232-233頁)
(動的平衡、福岡伸一、木楽舍,232-233頁)
悼む人
学校の成績なんて、記憶と思考に適した細胞の働きが機能したに過ぎない。運動も、脳の或る部分が活発に働き、肉体組織がそれを支えただけだ。ーーー
(悼む人、天童竜太、文芸春秋社、朔也のことば242頁)
(悼む人、天童竜太、文芸春秋社、朔也のことば242頁)
概念
ひとつの概念がより深く理解されればされるほど、より広い範囲に網をなげられるようになる。
Peter William Atkins, The second law (翻訳エントロピーと秩序:熱力学第二法則への招待、米沢富美子、森弘之訳/日経サイエンス社1992)
Peter William Atkins, The second law (翻訳エントロピーと秩序:熱力学第二法則への招待、米沢富美子、森弘之訳/日経サイエンス社1992)
下り坂
時代が下り坂だと、すべての傾向が主観的になるが、現実が新しい時代へ向かって成長している時は、すべての傾向が客観的になるものだ。ゲーテ。E.H.カー「歴史とはなにか」岩波新書447185頁より


