lieutar はてなハイク市民 (プラチナ 3,375日)

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右肩上がりの経済状況のもとで、財政赤字はあまり躊躇なく積み重ねられたが、人々の生活には余裕があって蹴落すことにも蹴落されることにもノホホンとしていられたが、蹴落しそのものはあったわけで、それは包摂の形としては偽物でしかなかったってことな。
まぁ、かつては「同じ東洋人であるからには、同胞であるはずだ」としていたはずの朝鮮の戦争で火事場泥棒の如くノホホンと伸ばした経済の正体みたいなところな。
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さういやネオリベ的空気をバブルの頃からのものと捉える話って結構あるけど、むしろバブル世代が成人するまでの高度経済成長期にはもうそういったものが埋め込まれていたと考えるべきなのだよなと。
オタク=ネクラ差別と言うのもそういった空気の中のド畜生な学園世界の産物だと思うのね。
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社会が持つ排除のメッセージを最少化することで不要な侮蔑を生む不安を最少化する。そういったテーマにおいて死刑の是非や犯罪加害者の包摂と言う問題は重用。
また、手に終えず排除せざるを得なかった者のことをどれだけ憎しみと自己正当化ではなく悲しみと後悔で振り替えることが出来るかとか、そういうこととか。
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罵倒語化から自由になることってできるのかしら。
たとえば「情弱」や「アスペ」といった罵倒語化された言葉たちも元々は罵倒の為ではなく、社会の中のなんらかの要因がバリアとなるが故に困難を抱える人が出てくる社会問題を考える為に出てきた語のはずで、それを罵倒語として用い自ら積極的にバリアと化して行く姿に良心も知性も感じられないわけだけれど、でも良心や知性の対極に自らを据えることを「本音」と尊ぶ人々が一定数いるが故に起きた現象なのだと考えると、むしろ罵倒語化が問題と言うよりも罵倒しようって心象が問題よねと。
この手の心象の持ち主だと、あらゆる語を「人類を強弱二種類に分けるもの」として認識して、その上に立って自分より弱い誰かを論おうとするので、ヒトの性質を認識するための概念の殆どがエサになってしまう。
こういう現象をよく「誰かを下に置くことで努力なしで自分の上昇感を得ようとする」みたいに説明されるけれど、むしろ自分が引いたラインこそが弱者と強者を分ける閾値なんだ、閾値がこのへんだと安心できるんだと言う、神経症的な政治のような感じもするのね。
で、そういう政治が何故行なわれるのか、もっと言えば不安はどこから来るのかと言えば、競争とその結果による線引きの経験の蓄積だったりするわけで、でその経験の結果弱者に手厚くされたと言うよりはむしろ捨てられたりとか、捨てられるのを目にするとかそういうことだったりで、んでそういう経験の原初的光景に学校があることがいわゆる「悪の秘密結社・ニッキョーソ」みたいな発想とか、あるいは学校と知性の関連が筋を遠したもの、知性的なものへの嫌悪や恐怖ともやっぱり関係していたりするんじゃないのかなと。

まー荻チキ周辺のやってる校則(拘束って変換候補に失笑)見直し論的なものとか案外突破口になれそうな気もするなー。
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プレイリストって200本上限なのかしら?
作業用BGMのプレイリストに最近加えた白金ディスコとか 「lollipop lollipop …」の奴とかが追加されとらぬ…
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[Youtube]

動画の高評価ボタンを押すことはあっても低評価ボタンを押すことはない。
差別扇動やデマの動画を通報をすることはありえても低評価ボタンを押すことはない。
動画がつまらねぇなと思ってそっ閉じすることはあっても低評価ボタンを押すことはない。

いやさぁ、だってつまらないって思っている動画を最後まで見て、その内容に丁寧に評価をつけてあげるってどんなけ丁寧やねんって思うじゃない?
だから普通低評価ってのは付きにくいし、逆に低評価が大量に付いているのって動画を見ないで、タイトルとかチャンネルの傾向から「なんかこういう種類の動画は叩いておこう」って連中が集ってきた結果なわけで、まぁせいぜいそういうことをする傾向のヒトびとに対象にされやすい動画なんだなって風に思う。

実際、視聴者の動画の評価に対して Youtube は内部的にどう評価しているのだろう。
自分がその手のものを設計するとしたら、どれだけ最後まで動画を見た人が多いかとか、その動画をきっかけに同チャンネルの動画を見だした人が多いかとか、そういうことを評価対象にするな。

あ、そうだ、動画が面白いと思っても高評価ボタンはそんなに押さない。たとえばゲームなら以外な逆転とか健闘とかを称えたいとか、講演系なら勉強になるなぁとか、まぁ感動したら押すけど、単に心地良いとか愉快で驚きのないものに高評価ボタンは押さない。でも、驚きの無いものだって重用だとは思うんだな。
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[ローガン?] Youtubeが勧めてくる動画の吉良よし子参議院議員と安富歩センセに見間違えるなど。
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[自民党相殺戦] 素敵なお惣菜ぐらいの丁度いい具合の相殺具合。
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[ずっちょく]

package.el がなんか正常に動いていないらしいので、package.el 読むしかないのかめんどくせぇ。でも読むしか。
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「ずっしり」と言うのは比重についての身体感覚で、たとえば「この積み木は木だけど木にしてはずっしりしてるから水に沈むだろう」とか予測できてしまうわけだけど、以前子供向け番組でいろんなものを出して「これは水に浮くかなー?浮かないかなー?」みたいなことを考えさせる奴があって、でその番組が対象としている年代の子供に「ずっしりしている奴は沈むよ」と言って通じるだろうかと言えば通じないんじゃないのかなと。
つまりこの感覚は実際に水に浮くとか、浮かないとかって経験はもちろん、体積の感覚と質量の感覚とかと合わせてモノの比重をざっくりと評価したとか、そういう経験が総合されて作られ、身についた感覚の統合方法みたいなもので、で、この程度の感覚と言うのは誰にでもあるものだから、以前誰でもみんな剣豪でもないけど「機を読」んでるよなーとか気付いたのと同様、「だいたいみんな達人」の実例のひとつだったりするんじゃないかと。
そういった身体化を出来ることなら意識的に選択して行けたら結構縁遠いと思えた技能も早く身につけたりできるんじゃないかしらとかも思ったりするし、いや本当大概の人は自信を持っていいよなぁって思うのだった。
まぁその前に他人と比べて「そんなの誰だって出来るしなぁ」とか「こんな程度出来る奴なんてゴマンといるよ」とかって評価を程々に抑える方が先なのかもしれないが。
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× これ虚しいのは、誰が仕事を奪うのか、あるいは誰が創造性なるものを決めているのかと言う問いなのよね。
○ これって虚しくて、ここに欠けているのは、誰が仕事を奪うのか、あるいは誰が創造性なるものを決めているのかと言う問いなのよね。

こういう種類の文章のミスがどのようにして生まれるのか、いや推敲中に脳内で出来上がっているものの幻をそこに見てしまう為なんだけど、その幻はなぜ生まれるのかとか、どうやったら幻を見破ることができるのかってことが未だわからん。
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返信先lieutar
「AIがどの仕事から奪うのか?そして何割の人間の仕事がAIに置き換えられるのか?そしてその後のヒトの生き方は?」みたいな問い、あるいはそこで決まってでてくる「ヒトは創造的なことをすれば良いよ」みたいな話な。
これ虚しいのは、誰が仕事を奪うのか、あるいは誰が創造性なるものを決めているのかと言う問いなのよね。
誰しも自分の興味の無い分野についての価値なんてなかなか見出せないもので、権力を持つ者の盲点に入った価値から切り捨てられて行く。
その結果、兵站もろくになく、自軍の兵士を戦闘ではなく餓死でむざむざと殺して行った旧日本軍のような結果が生まれるわけでな。でもまぁ国民からの収奪のシステム自体は生きてたから破滅するまで権力は肥えてたような感じな。
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AIによる意欲前領域の開発とかってのは、これまでマスメディアを用いて行なってきた不安の植え付けと欲望の捏造をさらに強化するものになりやすいのね。
力ってのは強ければ強いほどその扱いには慎重になるべきで、「AIの研究で日本が遅れてる!もっと予算を!」みたいのの話には、むしろその倫理性を問うような場面で世界をリードしてみたらと常々思う。
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なんか恋愛系の話題が掲載されているサイトが出てきて、そこの他の記事の紹介。
「ヒモ男に注意!ヒモ男の見分け方とは」
なんか「ヒモ」だけじゃなくて「男」を付けると仮面ライダーの改造人間とか、なんか猟奇的な小説に出てくる怪人のようだな…

それはともかく、「女々しい男を男らしくさせるには」みたいな記事もあって、性規範と恋愛に纏わる市場経済との関連に思いを巡らせるほかないのであった。
「恋をすれば幸せになれる」「あなたが不幸なのは、あなたが恋をしていないからだ」あるいは「あなたが不幸なのは、あなたの恋の質が良くないからだ」みたいな形で不安を作って、そこに付け込む形で化粧品とか服装を売るような業態な。
まぁ性規範のようなテンプレを流し込んだ方が商品展開にも筋道が付けやすいとかってのはあるのやもしれん。
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俺の脳内には俺が皇帝の神聖俺様帝国がある。夢に出てきて、昔からの知人みたいな顔しているけど起きたら顔も思いだせない奴らが国民だ。
そこでは明日から毎朝アナウンサーが鍛えらえた滑舌で「今朝の皇帝のうんこは、ウサギ0.75でした」って語ったりさせるんだ。
明日の夢ではあいつら「シラネーヨ!」って叫んだりしているかもしれない。そう考えるとワクワクするぜ!
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[うんこの羽(わ)指数]

うんこの硬さをトリ-ウサギの例えで数値化する試み。
完全な水様便をトリ1、完全な兎糞状便をウサギ1とし、バナナのような健康なものを、ウサギ0 = トリ0とする。
なお、トリ1 = ウサギ -1 と定義してみるのはどうか。
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実際我々は今もなお、そして成長過程において処理しきれない理不尽を抱えている。
その鬱屈の間違った表現が多くの間違った政治的主張に繋がり、それは一時の溜飲を下げるかも知れないが何も解決せず、
むしろ理不尽な構造の追求を阻害し、場合によってはより新たな理不尽さを加え深化させる。
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「生存煩悩」なる語を受信したことをメモっておく。
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差別はしばしば差別者にとって盲点に入っているので、主観的には差別をしながらの反差別と言うものが矛盾なく行なえてしまう。
ではそういった人の反差別の言葉は聴かなくて良いかと言えばそんなことはなくて、また、「お前の訴えは聴いてやる。なら俺の訴えも聴きやがれ」と取引を迫る態度も違う。
ただ、それはそれで差別に無自覚でいることを容認して、結局最後はパワーゲームですかみたいなことにもなりそうなんだけど、多分そういう態度が忘れているものは「よく生きたい」と言う態度なんじゃないかとか。
まぁ、自分自身の「よく生きたい」って思いはある面呪いのようなところがあるので、そんなに人にお勧めして良いものなのかと言う疑問もある。
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表現規制

返信先キクチャン
何ら権力を持たない人々の不快感の表明ごときを「規制」に直結させるところには確かに飛躍があります。
また、それを規制と言うのならば、不快感の表明に不快感を述べることもまた「規制」となってしまうので単なる水かけ論しか生まないタイプの議論とも言えるでしょう。
ただ、その飛躍をさせるものは不安であり、その不安の原因となるトラウマもあります。

ある時期までオタク的な趣味を持っていると言うだけで軽蔑され嫌悪されていた時期はたしかにあったので、その時期に人格形成をしたバブル〜ロスジェネ世代のオタクに当時の傷が未だ癒えぬ人々は多いのです。
その傷は「こじらせ」ている場合もあり、その「こじらせ」の責任は彼ら自身に認められようこともありますが、しかし元々の傷口を開いたのは90年代までの世相であり、そこに乗って差別をしていた人々であることを忘れてはなりません。

さらにインターネットではそこに大した傷があるわけでもないが、別の傷の疼きを憑依させたいとか、単にシリアスなものを茶化したいとか、逆張りをして賢げに見せたいとか、一度乗った市場のルールを変えられたくないとかといった理由でそういった傷からの呻き声にフリーライドする人達もいるでしょうね。
そういうフリーライダー達こそがオタクvs反オタクの構図を強調するように思えます。アフィリエイト狙いのまとめサイトが差別を扇動するような感じですね。

とりあえずの飛躍の指摘はもちろん必要ですが、「彼らは反オタクだからそう語るのだ」とむしろ構図の強調の方に利用されてしまうように思え、なんとかそういったフリーライダー達にエサを与えず、むしろ本物の傷をケアするような態度というものはないものかと常々思いますが、自分自身「コレだ」と言うものは見付けられていません。
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