lieutar はてなハイク市民 (プラチナ 3,313日)

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たとえばオウムの事件のようなものを前に「自分も状況次第では彼らと同じことをしてしまっていたかもしれない」と考える人々と「彼らは自分とは根本的に異なる人々なので自分は同じことをするようなことはありえない」と考える人々がいる。
あるいは、「もしかすると彼らを生みだす構造に自分も加担していたのではないか」と考える人々と「彼らはクレイジーな存在として生まれたのだ。彼らの発生の理由を社会に求めているのは馬鹿げているし責任転嫁だ」と考える人々がいる。
いずれにせよ後者には全く共感しないし、愚かで卑怯だと思う。嫌悪感すら湧く。この強い憤りはおそらく自らの中に湧き上がる後者の人々のような思いを克服しようとし続けている結果生まれるもので、つまりどこかで自分にとって全く共感できないのではない。むしろ共感できることに忌避感がある。

どころで、もし後者のような人々と対話せねばならないときに、自らが自らにしているような、排除の感情を克服するような理性の語りかけをやったとして、それが伝わるだろうかと言えば、多分伝わらない。
問題は話題を前にしたときの動機に根本的な違いがあるためにこういった差が生まれるのであり、そしてその違いがどこで生まれたのかと言うことを探る必要があるのだと思う。

いずれにせよ自らが無謬かつ、社会に対し無責任な存在と規定することは楽なことである。しかしその楽さの選択は限りなく下品なことであるが、その下品さのなかに留まるのは怠惰とも限らず、何らかの弱さである可能性もあって、しかもそれは、未熟なのか衰弱なのかとか、そういったことも見る必要があるのだと思う。
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ファミコンのハックロムで性能を限界まで引き出してアーケード版に近付けてる奴とか、かつてのマイコンプログラマ達や、どういう契機ではじめたのか新規参入した人々が、8ビット時代のPCで当時は考えられんかったようなすげぇゲームを出してるのとか見るとあれだな、スチームパンクに近い感覚があるのな。
「もしハードの進歩が停滞し、ソフトの力だけが進歩してたら」みたいな感じ。
まぁ、かつてマシン語を身につけた人々ならともかく、今は現代的なPCの上でアセンブラ動かして開発してるような例もあるだろうし、チートレベルの背景もあるんだろうが。
しかし、ハイドライドの内藤氏とか密かにYoutubeチャンネルもってて自作ゲーム動画公開されてたりするんだが、チャンネル購読者少なくてあんまり知られてない感とともにチャンネルのアイコンの自画像がおじいちゃんぽくなってて、いやまぁ年齢的に実際お孫さんとかいらっしゃってもおかしくないんだけれど、時の流れを感じーの「老人Z」感もありーの。
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町田樹「パフォーマーとしては引退だが研究者としてなどフィギュアには貢献してゆく」とのことらしいので、解説熱望。
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「かわいい」は自己を表象させるのに都合の良いもの。
「かっこいい」は自己を埋没させ消し去るもの。
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ダンジョンにありがちなこと

オークの人が集まる建物内を罰則付きで禁煙にすることを柱とした受動喫煙対策の強化を盛り込んだ健康増進法改正案は今日の参議院厚生労働委員会で与党などの賛成多数で可決しました。
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荻チキがラジオでちきりんの話題。(いやまぁ、「ちきりん」とは言ってないけど勘違いされるブロガーってそれしかないでしょ)
そりゃーともかく twitter のステマ垢大量削除の方針ネタ、以前ヲチってたネトサポ垢が消された前後にも似たような話あったよなーとか思ったんだが今度はどーなんだろ?
あと、微妙に気になるのが twitter でのマーケティングを売りにしてる会社の社長だと言う id だったりもする。
あとなー現状のインターネッツが情報公害を生み出す状況を、はてな出身感強い荻チキがアナーキー状態と批判するのが、まぁ「モヒカン」とか死語になりつつあるとは言え感慨深い。
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ふと思ったのだが、「かっこいい」ってのは鎧とか刀とか装備品の感覚ではないのかなってこと。
たとえば爆音を放つエンジンを抱えると言うのも「かわいい」と同じ同化のようなんだけれど、でもなんかその力を所有したいと言う感じで、なんか抱き抱えた床を転げまわりたいような肉のレベルの同化とはちょっと違う感じがする。
ロボットとか戦闘機とかマッチョの筋肉とかもも能力を拡張するデバイス。

で、こう思うとやっぱり反例を探したくなるわけで、たとえばミシンや印刷機は「かっこいい」のかとか言われると途端に怪しくなったりで、やっぱり力にも種類があると言うか、繊細さが際立つようなものは「かっこいい」には直結しないのかもなとか。繊細な制御の結果力を獲得するエンジンは直接的に「かっこいい」。力をもって繊細さを獲得するミシンや印刷機は「かっこいい」にはワンクッションあって、その機構に込められたアイデアの背景にある知力を「かっこいい」と言ってる感じ。
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そーいや中学生時代だったか音楽の時間にも見たんだけど、当時は全く戦争が描かれたことが印象に残ってなくて、それは多分ナチスの描写がよくわからなかったせいなんだろうなとか。
あれ、子供達に見せるんならナチスの時代についての結構がっつりした授業が必要な感じがする。
まぁ何となく要素に触れさせて後の興味に繋げるって手もあるけど、自分の場合はなんか「あ、小学校の音楽の教科書に載ってるような曲がでてくる!」みたいなことしか印象に残ってなかった。
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[へんな夢をみた]

夢の中では終戦記念日に近く、特番枠でサザエさんの作画スタッフが渾身の戦争ネタの動画を作って放映されたと言う話を聞いていた。
作りはファンタジー的、戯画的にヨーロッパ戦線を描くものだったらしい。
で、夢の場面は話の内容の映像そのものに変わる。最初はサザエさん一家のカメラマンだという叔父が戦中のヨーロッパで体験した話を語ると言う形で、カメラにその叔父の頭が生えたようなものがヨーロッパの地図の上を飛行機のように飛びながら、同じようにアイコン化された他の登場人物との会話を進める。
多分夢の中ではシームレスに場面は繋がってるんだけど、なぜかそこで急に広島の原爆の話に、そして急にそこから実写と特撮。丁度黒沢の「夢」みたいな雰囲気。
その叔父は丁度原爆投下の日に不慣れな登山をしていて、原爆のきのこ雲を火山の噴火だと思ったらしい。
火山性のガスなどを恐れ、パーティの面子が「息を止めて警戒しろ!」みたいなことを言うなか、恐しげにそのきのこ雲を眺めていると無数の人が真っ逆さまになって降り注ぐのを見る。

多分、これ最近CSで見たサウンドオブミュージックの影響なんだろな。
なぜサザエさんなのかは、まぁサウンドオブミュージックのヘプバーンて、ローマの休日みたいな夢のように美しいお姫さまじゃなくて、ちょっとおトボけた感じだし、妙に戯画的な雰囲気の映画だしね。
戯画的なのに見たあとにその背景の重さが後から来る感じなのな。あの映画。
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母に親しくしてもらっていた友人が亡くなった。
生前の彼女は年に数度は目にしていたし、また彼女の長い闘病生活はよく聞いていたのでそれなりの感慨はあるのだが、一方で「母の友人」と言う距離感は葬儀に参列すると言うには微妙に遠い、そんな感じなのだが近年足腰を弱らせている母の付き添いで参列したりしていた。
そんなこんなでわりとドタバタとした最近だったりして、いまひとつ豪雨災害の未曾有感にピンと来ていなかったりしているのだが、ただ理性的に考えれば直ちにしめやかな葬儀が行えると言うのももしかすると贅沢なことなのかもしれないとか思ったりもしている。
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最近、近所をよく珍走バイクが走る音がするようになった。
沢山いたら珍走団なんだけど、音からして一台のみなので珍走バイク。
で、その度に「あれが"かっこいい"と思ってやってるんだろうな、傍目には"かっこわるい"のだけれど」とか思うのだけど、なんでここで"かっこいい"と感じる気持を汲み取り、なんで同時に"かっこわるい"と思うのかと言うのが問題。

で、汲み取るのは多分幼少期にはじめてエンジン音を意識しだした頃の驚きとかを覚えているからで、またその驚きを与えるものを所有したい、驚きを与える力を得たいと言う憧れとかを理解したり、また、それを拡大するために違法改造とかする気持が汲み取れるからで、また同時にそれをかっこわるいと感じるのはやっぱりそれはあまりに幼稚な欲望の構成だと感じるし、その抑圧に対する反抗に何ら発展性を感じなかったりする結果、それを理解できない愚かさをアピールすることを「かっこわるい」と感じているのだと思う。

と、言うことは「かっこいい」とは基本的になんらかの力に対する憧れであり、「かっこわるい」とはその欠落ではないかとも思うんだけれど、たとえば「美しい」と言う評価が「かっこいい」に直結するかとか、貧困や病弱を「かっこわるい」に直結させるかと言えばそんなことはないだろうとか思うわけで、「かっこいい」には単に力とは言えないものがあるように思う。
で、やっぱりそのへんの鍵って珍走バイクのエンジン音に汲みとれる「かっこよさ」と珍走行為そのものの評価としての「かっこわるさ」にあるように感じる。つまり「力」と言う切り出しの粒度が不十分なのであり、他の種類の力との峻別が必要なのだ。
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[メモ]

核不拡散体制と略奪としての戦争の関係について。
略奪する側に核による「抑止」。
略奪される側で通常兵器による戦争による憎悪の積み重ね。
武器商人やそれに関する金融機関のあるのはどっち?

そして武器輸出3原則の事実上の撤廃や、9条の空文化を目論む政権の狙いは、平和を調停する側ではなく略奪者により積極的に自らを加えよと言うものと考えるべき。
ここで言う「自ら」とは「日本」ではない。現政権の権力構造の上澄みである。
そしてそのために自衛隊員をはじめとした国民の命と財産を貢ぎ物にしようとしているのでは?
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「かわいい」とは、自らの内部にあると感じられるものを美しく表現しているなどの理由で同化の欲求を促す特徴をもつものに向けられる感情だと個人的に定義づけているのだが、では「かっこいい」とは何だろう。
高校生時代の友人で「人はみんなかっこいいものを求めるのだ」と言ってて何かにつけ価値判断の基準を「かっこいい」に求めるのがいた。
当時、彼を賢く感じていたので「そんなものかもしれない」あるいは「そうとも言えるかもしれない」とも思って話を合わせ傾聴していたものだが、そのとき疑問に思ったのだが自らが「かっこいい」と言うものを意識して追ったことはないし、「かっこいい」とされる車とか銃とかロボットとかのメカものとかには基本的に関心を注いでこなかったのである。
当時の自分にとって「かっこいい」とは、あえて言うなら機械語などの低レイヤまで理解しているようなプログラマとか、宇宙開発とかに関わる科学者とかエンジニアとかだったりしたのだけれど、それとメカものとはずいぶんと異なる。
これらについて何が違って、何か共通点があるのか、その共通点をこそ「かっこいい」ものと言ってよいのかどうかを改めて考えたい。
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https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/l/lieutar/20180706/20180706205134.jpg
てきとうロボ顔
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なんか、SFイラストを画像検索したらヤバイの出てきた。

https://gajitz.com/classic-sci-fi-unforgettable-japanese-pulp-illustrations/

リキシーボーイって…力士?
で、リキシーボーイについて調べたら1970年代のバンダイの超合金だそうで、そこから10年も待たずにガンダムとか出てくるんだからすごい。
ドアンの島のガンダムでも十二分にカッコイイわ。
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おそらく現代において戦争を止めるのに必要なのは資本家達の武装解除である。
なぜ彼らが戦争までして金を集めるのか。
彼らが単純にカネの亡者ばかりと言う単純な話でもないかもしれないと考えてみると、そこには経済を背景にかたちづくられる権力関係の上での安全保障のジレンマのようなことがある可能性が見えて来はしないか。
ともかく今の戦争は資本主義の破綻の末期の足掻きと言うか、筋悪のリセットの企みとして起きるだろう。
そしてそれは世界の破滅のような形では起きない。100年の歴史が破滅から効率的な略奪へと変換している。
もしかすると我々は、少年兵達のように略奪者であることを強いられるかもしれない。(それ自体が真っ当に生きることを略奪されることであっても)
いや、もちろんこれまでも、もっと巧妙に隠されていながら略奪者にさせられているところはあったのだが、今度はもっとあけすけに。
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いやまぁ、「肝っ玉おっ母とその子達」、無名塾を取材した番組を見てて知ったんだけどさ。戦争について考えるのにふと思いだした。
現代において戦争はより純粋にごく一部の人々の為の金儲けの為に企図されるものになってきているが、ではなぜ一部の金儲けの喜びのレセプタがガバガバになった阿呆共の為の戦争が止められないということがしばしば起きるのかってときに止めない人はそれこそ肝っ玉おっ母になってしまうんだよなとか。
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ハングルにおいて基本母音は、強く息の出るような陽母音、比較的に息が塞がれたような陰母音、そのどちらでもないという中性母音に分けられる。
また、表記法としては、天地人の要素から成り、天は太陽を示す小さな点、表記するときは小さな線となるもの、地は横棒、人は縦棒で示される。
そして中性母音は地人の要素のみ、陰陽の母音は地人の要素のどの位置に天の要素が来るかと言うことで示される。
たとえば、o音は地要素の陽母音で、地を示す棒の上に太陽が来ることでまだ明るい(=陽である)ことで示し、より口をすぼめ息が塞がれる u 音は棒の下に太陽が来ることで太陽が沈んだ(=陰である)ことを示す。
ところで人要素は縦棒で、天要素はその左右に起かれることになるが、これでどうやって陰陽を分けるのだろうか?
それは、右を東、左を西と捉え、東に太陽がある=これから明くなる=陽、西に太陽がある=これから暗くなる=陰として捉える。

と、言うことは人要素の母音は北向きである。
北向きと言う語は不動産物件などの文脈で考えるとなんとも陰気な感じがするが、絵にすることを考えると逆光になりにくい陽気な絵が出来る向きでもある。
ならばいっそ絵にした方が覚えやすいのでは…とかも思ったのだが、絵にすると問題が出るのは、人の横に太陽があると言うことはその人は太陽を背にしているわけで、やはり逆光になってしまう。
そして、日の出と日の入りの頃に北側に太陽が来ると言う時期は結構レアである。要するに夏至のころである。
つまりハングルは6月…梅雨の晴れ間の文字と言えるのではないだろうかとか。

ところで ya - yu - yo の音はハングルでは母音と考えるのだが、まぁ順当に考えるのなら i 音である横棒の小さなものが付く、合成母音ぽいものと考えるべきなのだろうと思うが、合成母音としては解説されないことが多い、もしくは解説できないもののようである。
そして天地人の考えかたで言うのならば、短い線、あるいは点は太陽なので、太陽が二つと言うのは奇妙、絵で表わすのならばせめて新月とでも言うべきだろうかとか思ったのだが、梅雨の晴れ間の文字なのだとすると、あれを虹と考えるのはどうかとか思ったりする。
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