p_shirokuma はてなハイク市民 (金 359日)

シロクマさんのエントリー

id:p_shirokumaのミニブログ

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p_shirokuma
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がっかりだよ!

返信先三沢文也
こんにちは、リンク先の記事は私へのあてこすりなんですね?
p_shirokuma

orangestar id:orangestar

返信先orangestar
……唖然としました。
p_shirokuma

p_shirokuma シロクマ

id:mikanyama-c 本当ははてなブログか、はてなダイアリーでお返事したいところですが、はてなダイアリーを今日更新してしまったので、ここからidコールしてお返事します。「はてなハイク」で返事してすいません。
 
 ご指摘を受けて、ちょっと今検索をしたら、こんなものが引っかかりました。
http://www.sangiin.go.jp/japanese/annai/chousa/rippou_chousa/backnumber/2009pdf/20091001063.pdf
 こちらを観ると、フランス、相当頑張っているんですね。
 私の手許の文献に比べると、さらに一歩進んでいるようで、TFRが2を超えているというのはびっくりしました。ちなみにこちらは『世界主要国・地域の人口問題』P268-270、特にP270に記載されている「自国女性と移民あるいは外国籍女性のTFR差」の表が念頭にあって、ここではフランス自国女性TFR1.65vs移民女性TFR2.5、等が記載されています。ただ、ご指摘を受けて慌てて調べ直してみたら、統計が少し古く、1991-1998なんですね。1970年代の政策が功を奏してきたのが2010年代とかであれば、この数字が覆されていることに不思議は無いな、と思いました。
 
p_shirokuma

TM2502 id:TM2502

返信先TM2502
 十分な回答ではないのを承知で私見を申し上げますと、「ネットなまはげ」と「ネットウォッチ」との主観レベルの境界線は「相手の成長と発展を願いながら、相手の動向を意識しながらリアクションできるか」だと私は思います。
 
 まず、相手の成長と発展を願っているか。相手が嫌がることを望んでいたり、自分が感謝されることが優先されていたりすれば、これはネットなまはげとしてはちょっとダメでしょう。自分の快楽を第一とするのか、自分が若い人の未来の発展を第一とするのかを問うて、前者とならぬ意識を持つことはあって然るべきだと思います。
 
 もう一つは、相手の動向を見ながら。相手に対してよかれと思ってやっていることが裏目に出ることもあるでしょうし、そうでなくても得手不得手相性不相性はまちまちです。個別の対象に対して、という前提つきで物申すなら、相手ができるだけよく危険を洞察し、なおかつできるだけ精神的侵襲が少なくなるように身振りを調整するのが望ましいと思います。そのためには、対象人物が自分のアクションにどういうリアクションを返してくるかを見て、次の自分のアクションを軌道修正しながらやっていく必要があると思っています。
 
 言い訳がましく付け加えると、以上はあくまで理念であって、実装ではありません。相手のことを考えているつもりでもそうなっていない事もあるでしょうし、軌道修正しながらやっているつもりでも、悪い結果になることもあるでしょう。心構えをもってやれば良い結果が得られるというのなら、世の人は魔法少女など望まないことでしょう。だからといって、こういう心構えはやっぱり持っておいたほうがよかろうと思ってやっているんですけど、tm2501さんの時は「うまくいきませんでした」。
p_shirokuma

懺悔、または自嘲

久しぶりに10日ほどブログを更新せずにほったらかしにしていた。なんという呼吸不全!俺にとってブログとはカエルにとっての肺呼吸のようなもの、更新しなければ酸素の巡りが悪くなってしまう。しかし長距離潜水するためには、たまにはこういうフェーズも乗り越えなければならない。 自由のためのブログ、肺臓のためのブログを!
p_shirokuma

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返信先TM2502
なんにしても、次の移転候補、消息が把握できるのはとてもありがたいことです。
p_shirokuma

TM2502 id:TM2502

返信先TM2502
考えようによっては、今ならまだ間に合うかもしれません。垢を換えてやり直すなら、早いほうがいいです。後になるほどやり直しがしんどくなります。五年先も続けている前提でアカウントを作り直し、知人縁者に触れ回れば、コストは最小限で済みます。もし気に入らないようなら、ですが、一気呵成にやってしまうのも手です。
p_shirokuma

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返信先TM2502
 とりあえず、やるにしてもやらないにしても、自分が一番やりたいと思うことを一心不乱にやっていれば、必ず後日いい思い出が焼きあがるので、「先のことを意識して」以上に、きちんと自分のやりたい事をなさるのが良いと思います。

 必ずいい事がある筈です。
 
 悲しいこともあります。でも、どちらも含めて感情がこもり、魂にソレが刻み込まれることが大切なんだと私は思います。私はもうすぐSTGができなくなるでしょう。だけど、今まで必死に取り組んできたことを後悔はしていません。
p_shirokuma

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返信先TM2502
いえ、その日は必ずやってくると覚悟したうえで、自分が筐体の上で何をすべきか、十年後の自分に何をおみやげに残すのか、しっかりリソース管理をするのが良いと思います。衰えても踊り続けるのも一つの道。衰えたら面白く無いと思ってさっさと捨てるのも一つの道。ちなみに私はSTGのほうに思い入れがあったので、2002年頃にDDRを捨てました。STGのほうが自分の魂に深く刻み込まれていて、愛している(過去形のほうがもはや正しいかな)からです。
p_shirokuma

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返信先TM2502
 一人の人間のなかで、あの二つの記事が違和感なく混じり合っていると読むのか。それとも二つの記事が矛盾しているから人格が分裂していると読むのか。そのあたりは読み手の自由だと思うんですよ。「後者の読みは間違っています」とは筆者が言ってもしようがないことです。矛盾しているからおかしい、のか、個人のなかで何らかの辻褄合わせが行われていると推定するのか……。
 
 さておき、中二病の記事は、理論背景としては「エリクソンの発達段階説によれば、壮年期や老年期の心性を無事に迎えてその年齢のトピックスに画ぷり四つに取っ組み合ったとしても、思春期的・学童期的etcといった過去の発達課題や過去の心性がニュっと首をもたげる時がある」的な話です。エリクソンの発達段階説で描かれる諸々は、すべてタマネギモデルであって脱皮や(昆虫の)変態ではありません。それはエリクソン以後で問題になった中二病にも当てはまると私は推論しています。人生の午後三時を迎えれば、きっとガイアはそんなに輝かないとは思います。でも、時々なにかのおりに輝くかもしれないんです。頻度は午前10時よりずっと減ったとしても。
 
 あのエントリは実はもともと、二つのエントリの一つでした。ひとつは記事の通りです。もう一つの記事は「社会化された中二病は何処へ行ったのか」というタイトルでしたが、非公開になりました。
p_shirokuma

TM2502 id:TM2502

返信先TM2502
>>>ネットなどのメディアと、旧来的な「成熟」のモデルは、かなりミスマッチを起こしています。
>>
>>というところが少し気になっています。
>>これが正しいのであれば旧来の成熟モデルの視点からすれば有害かもしれないと思っているし、
>>かといって、そんな単純な話でもないし、ここをどう考えればいいのだろう、と思っています。
 この周辺の問題を、私はたぶんこれから先三年ほどかけてグルグル巡っていくことになるでしょうし、
そのためのテキストをオフラインでは生産し続けています。いつになったらwebに載せられるのかは
分かりませんが。
 
 私は荻上チキさんと幾つかの点では考えを同じにしつつ、幾つかの点で考えを同じにしていない、といつも
感じています。彼の記事、彼の見地には(私の視点からみて)大切なピースが一つか二つ、抜け落ちています。
でも、それを指摘しなければならない義理も立場も私にはありませんから、私は私の考えを少しでもまとめて、
少しでも明確に言語化できないものか頑張るのみです。
p_shirokuma

TM2502 id:TM2502

返信先TM2502
これは私の性質をよく顕している一文だと思いました。
その性質が良いか悪いかは、読む人の価値観によって違うと思います。
私の振る舞いを左右する価値観の根っこには、間違いなく
「年齢相応とは何か」「世代間で果たすべき何か」「その年代でなら許される何か」
といったテーマがあると思います。
年齢や世代について考えない・認めないという立場の人からすれば、きっと大変煩わしい価値観だと思います。
現実の人間関係のなかでは、これらのテーマ100%で行くわけではありませんが、ネット上での主張の方向性としては、上記テーマに則って考える言及する確率が高い、と考えて頂いて間違いないと思います。
p_shirokuma

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返信先TM2502
続きが出てきました、ここでの藤田さんとのコメント欄でのやりとりはなかなか面白いです。お気に召すのではないかと思うのでお知らせしておきます http://d.hatena.ne.jp/ohnosakiko/20130302/p1
p_shirokuma

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返信先TM2502
 良い本ですよ、間違いなく良い本です。あまり世間では売れにくいテーマの本なのかもしれません。でも内容はものすごく良かったです。アートと父性と精神分析を巡る話は、フロイト派・ラカン派なので、コフート大好きな私からは古い話、ポスト近代ではなく近代めいた話のように見えます。けれどもアートの文脈で考えれば、近代、そしてヨーロッパめいた精神分析の援用は、ポスト近代、そしてアメリカめいたコフートよりは性に合っていると思います。現代日本社会の父性の不在を照らし出す本として読むも良し、父性機能を考える本として読むも良し、アートが父性の文脈に拘りすぎてこんがらがってしまっている混迷の本として読むも良し、なんにしても充実度が凄いです。あと、TM2502さんの場合は、10年後に読み直してみるとオマケがついてくるかもしれません。たぶん私も10年ぐらいしたら本棚から取り出してみるような気がします。これは本当にいい本です、まず損はしないと思います。
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返信先TM2502
当時私は実際に機嫌が悪かったので、ああなりました。
p_shirokuma

北極工廠はてなハイク支部

 自分は<生きる>という言葉の意味を知らなかった。ただただ、あるべき未来のことだけを考え、現在を犠牲にし続けた。<今>というのは、正しい未来へと向かう過程でしかなく、それゆえに過ぎ去ると同時に虚無の中へと消えてしまった。
 どれか一つだけではだめなのだ。SAO世界を俯瞰すると深くそう思う。
 未来のみを追う者はかつての自分のように狂的なゲーム攻略に邁進し、過去だけに縋る者は宿屋の一室にうずくまっている。そして現在だけに生きる者は、時に犯罪者として刹那的な快楽を追い求める。
 だがこの世界においてなお、現在を楽しみ、数々の思い出を作り、脱出に向けて努力することができる人々もいる。
 
川原 礫 著 『ソード・アート・オンライン2』、2009、P217より抜粋
p_shirokuma

TM2502 id:TM2502

返信先TM2502
 仕事の合間に殴り書きみたいにして書いたので、推敲してなさすぎ&くどい言い回しになりすぎですいません。はい、まとめていただいたとおりのような感触を持っています。けれどもTM2502さんにとって、あのあたりが初めての遭遇だとしたら、是非、自分の目で見てあれこれ感じたり考えたり行為したりして頂きたいなと思います。
 
 良いお年を。来年も宜しくお願いします。
p_shirokuma

北極工廠はてなハイク支部

「消費主体」たりえれば近代社会シチズン、あるいはindividualであるという、ここにこの本の致命的な欠陥(の一)がある。消費主体=市民社会とか、たわけもいいところだ。それはヨーロッパ的な意味での近代市民社会の市民の要件を満たしているとはいえない。
 この本を貫く通奏低音として「近代になればいいってもんじゃないよね」があるし、その論旨には全く反対するつもりもないんだけど、ここで問題として挙げられているのは近代ではなく、ヨーロッパ的風土の薫陶を脱臭されてアメリカという真空地帯で変質し、さらにそれが太平洋を渡って「やおよろずの国」に伝わってぐずぐずになっている近代モドキの何かだ。そういう、近代が輸入されてくるプロセスで蒙っている変質を度外視したまま、最後まで「近代モドキ」を「近代」と呼び、市民モドキな消費主体を近代市民と呼ぶあたりが、この本の手ごたえをどことなく軽い感じにしている。近代近代と連呼するなら、そのあたりを掬い取らなければならない筈。近代やポスト近代を日本であれこれ言うなら、そのあたりきっちり目配りしておこう、と思った。
p_shirokuma

北極工廠はてなハイク支部

近代社会以後に厳然として存在する能力主義を否定する言葉は、21世紀においてますます少ない、といわざるを得ない。しかし、その能力主義の関数を、子ども時代において、偏差値のように現代において数値化された粗雑な関数に限定するあり方を否定する言葉については、まだまだ予知がある。
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