polynity はてなハイク市民 (銅 26日)

大黒学さんのエントリー

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イスラム教

駅に貼られている大学のポスターに、「シャリアに強い法学部」と書かれているのを見て、「最近は日本の大学もイスラム法を教えるのか」と感心したけど、よく見ると「キャリアに強い法学部」だった。
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Dropbox

Dropboxから送られてきたメールに、「たとえあなたのコンピュータがメルトダウンしたとしても、すぐに復元できます」と書いてあって、もしかして自分のコンピュータも原子炉を搭載しているのかと不安になった。
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polynity 大黒学

私は篆書が好きなので、神社の境内や街中を歩いていて篆書が視界に入ると、つい鑑賞モードになって立ち止まってしまう。先日も、大阪駅の構内を歩いていて新しくできた和菓子屋の前で足を止めた。看板に会社の角印が捺されていたからだ。その篆書は一瞬では読むことができなかったが、読めない理由はすぐに判明した。上下が逆になっているのだ。それに気づいてみると、左下から右上へ「有限会社×××之印」と読むことができる。印章を逆向きに捺してしまうというのはよくある失敗である。しかし、それに気づかないまま書画が人目に触れるというのは珍しい。間違いのある切手が高値を呼ぶのと同様、この和菓子屋の看板も、大阪駅の新しい名所となるに違いない。
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polynity 大黒学

真締川河畔を歩いていて、既視感のある立体作品に出会った。
長澤英俊さんの「メリッサの部屋」(La stanza di Melissa)。
鉄でできた7本の正四角柱を組み合わせた作品。
既視感の理由は、2009年に国立国際美術館で開かれた長澤英俊展にも同系列の作品が出展されていたから。
見ているだけではもったいないと思い、裸足になって作品の上を歩き回ってみた。パブリックアートならではの鑑賞スタイル。
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mimipann id:mimipann

返信先ぱんのみみ
リンク先にあるMasaoさんのエントリーを読んでみました。これを「議論の叩き台」とすることにつきましては、私も賛成です。ただし、「誰がケアされるべき弱者であるか」が「私たちの課題」となるかどうかについては、私としてはやや否定的です。「弱者はケアされるべきである」という一般論は否定しませんが、「誰が弱者なのか」を一義的に決定することは避けるべきではないかと私には思われます。それよりも、「誰が援助を受けるべき経済的弱者であるか」を一義的に決定することなく、所得のない人にも大富豪にも一律に現金を支給するベーシックインカムのような解決策が可能ならば、そのほうが望ましいのではないでしょうか。たとえば、「女性の社員は生理休暇を取得することができる」という就業規則を定めたとすると、「誰が生理休暇を与えられるべき女性なのか」を一義的に決定しなければならなくなりますが、私は、誰もが納得し得るような線引きは不可能であって、むしろ「社員は誰でも生理休暇を取得することができる」という規則にしてしまうほうが望ましいのではないかと私は思うわけです。
 
Masaoさんがリンク先のエントリーで書いておられる、「すべての社会運動は、『社会規範からの抑圧に対する抵抗』じゃね?」という意見につきましては、私は基本的には賛成の立場です。ただし、非モテを「社会運動」と呼ぶことには抵抗を感じます。少なくとも私個人は、「恋愛という社会規範」は必要なものだと考えています。なぜなら、もしもそのような規範が存在しなくなったとすると、非モテを「放置プレイ」として味わうことができなくなってしまうように思われるからです。

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mimipann id:mimipann

返信先ぱんのみみ
返信を待つ期間の上限を定めるというご提案に私も賛成です。1週間前後という上限も妥当だと思います。それ以上に時間を必要とする場合があるかもしれませんが、そのような場合も、1週間を目安として中間報告をするということにいたしましょう。
 
なお、12月24日ごろから1月8日ごろまで、少し長い休息を取らせていただくことを、あらかじめお伝えしておきます。その期間中は、3日に1回ぐらいの頻度で、着信メールを読んだりTwitterで生存を報告したりしますが、それ以外のネット上の活動は、ほぼ休眠状態となる予定です。
 
平山郁夫画伯の逝去は、私にとってもショッキングなニュースでした。何年か前に、生口島にある平山郁夫美術館で、釈迦とイエスとムハンマドが語り合っている姿を描いた画伯の絵を見て感動を覚えたことを思い出しました。天に召された画伯は今ごろ、彼らの姿を目の当りにして、スケッチにいそしんでいるかもしれませんね。

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mimipann id:mimipann

返信先ぱんのみみ
会話するのがめんどくさくなったなどということはありませんので、ご安心ください。むしろ、私のような非コミュな人間のためにお時間を割いていただいていることに、心から感謝いたしております。ただし、「返信はなるべく早急に」という暗黙のルールに縛られると、お互いに疲れるだけですので、「返信は気長に待つべし」というルールを明示的に制定してはどうかと提案したいと思います。
 
26日(木)午後8時53分のmimipannさんのエントリーを読ませていただいて思ったのですが、mimipannさんは、一般論を踏まえた上で発言することにこだわっておられるのではないでしょうか。もしもそうだとするなら、私は一般論よりもむしろmimipannさん個人の独断と偏見をお聞きしたいのだと申し上げておきます。ちなみに、私自身は、一般論にはこだわらず、私個人の独断と偏見で発言しているつもりです。非モテに関する一般論というものがもしも存在するとしても、個々の非モテに対する処方箋は、そのような一般論とは無関係に、個々の事例に即して書かれるべきもののように思われます。
 
私が使う概念と、一般に使われる概念との間にズレが存在する理由は、前者が私個人の問題を分析するためにチューニングされているからです。しかし、ズレのある概念を使って他者と会話を交わすことはできませんので、概念を整理する必要があるというmimipannさんのご意見については、私も全面的に同感です。むしろ、私たちの会話が概念の整理で始まって概念の整理で終わったとしても、「お互いにとって何か建設的なものを目指す」という、この会話の目的から逸脱するものではないように思われます。

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ダイアリー書いたよ!

「仏陀再誕」という幸福の科学のプロパガンダ映画を批判する佐藤哲朗さんのエントリーを読んで、宗教多様性の保全という観点から言えば、「仏陀が再誕する」という教義を持つ宗教も必要なのではないかと思いましたので、この問題について日記に書いてみました。
 
http://sonzai.org/2009/buddha.htm

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返信先ぱんのみみ
以前のエントリーでも言及しましたが、私は、非モテには非モテに固有の幸福の形があるのではないかと考えています。それが具体的にどのような形なのかというのはこれから探究しなければならない問題なのですが、進むことが可能な方向の一つとして私の視野の中にあるのは、フェティシズムです。すなわち、人間から人間以外のものへ性的な対象を転換することが、非モテにとって幸福に至る道の一つなのではないかと考えているわけです。ですから、「性における非典型性と偏見」も然ることながら、私のもう一つの関心事は、「非モテとフェティシズムとの関係性」というものです。
 
以上は私の個人的な関心事の中央にある問題ですので、私たちの対話のテーマにはなじみません。そこで、お互いの関心領域がわずかに重なっていると思われる領域について、こちらから話題を振ってみたいと思います。
 
mimipannさんは、以前のエントリーで、「インターセックスやトランスジェンダー、
トランスセクシュアル、トランスヴェスタイト、趣味女装などがそれぞれどの様な位置づけになるのか、大変興味深く思っております」とお書きになっておられましたが、この問題は、私の関心領域とも重なっています。なぜなら、トランスヴェスティズムは、LGBTの問題であるのみならず、フェティシストの問題でもあるからです。
 
そこで、お聞きしたいのは、LGBTのトランスヴェスティストは、フェティシストのトランスヴェスティストの存在をどのように思っているのかということです。同列の存在として連帯感を感じているのでしょうか、それとも異質な存在として認識されているのでしょうか。
 
ところで、私は、土曜・日曜・祝日等を「休肝日」ならぬ「休ネット日」にしております。ですので、次にお目にかかれるのは休み明けということになります(火曜日はまだ休みボケしていて、水曜日ぐらいになるかも)。
 
それでは、よい週末をお過ごしください。

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mimipann id:mimipann

返信先ぱんのみみ
前回のエントリーがmimipannさんに衝撃を与えてしまった理由は、おそらく私の説明不足によるものです。「マイノリティー性」という言葉の意味の中にデメリットが含まれているかどうかという点に関しましては、私も、世間一般の人々と同様に考えております。「マイノリティー性」という言葉の意味をめぐるmimipannさんと私との間の相違点は、デメリットをデノテーションの側に置くかコノテーションの側に置くかという違いではないかと思われます。
 
私は、「マイノリティー性」という言葉の意味の中にはデメリットも含まれていると考えていますが、その位置は、デノテーションの側にではなく、コノテーションの側にあると考えています。私がこの点にこだわる理由は、以前のエントリーにも書きましたとおり、制服フェチや眼鏡フェチを視野に入れておきたいからです。
 
もしも「マイノリティー性」の定義の中にデメリットを入れたとすると、広義のセクシュアルマイノリティーの境界線がフェティシズムの中を通ることになります。つまり、フェティッシュが何であるかということに応じて、あるものは広義のセクシュアルマイノリティーに含まれるけれども、あるものは含まれない、ということになってしまいます。
 
フェティシズムは、LGBTに比べれば重大さの点で軽微とは言え、偏見の目で見られるという点は同じです。そして、フェティシズムに対する偏見は、対象となるフェティッシュが何であるかということに応じて、質的に大きな相違があるように思われます。「性における非典型性と偏見」という問題について考える上で、「フェティッシュと偏見との関係」について考えることは、避けて通ることができないのではないかと私には思われます。

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mimipann id:mimipann

返信先ぱんのみみ
合意点と非合意点についての現状認識につきましては、mimipannさんが述べておられるとおりで間違いありません。しかし、テーマの絞り込みにつきましては、現状では保留にしておきたいと思います。当面のテーマである、「それぞれの社会の中での位置の違いをどう評価するか」という点についてmimipannさんがどのようにお考えなのかということは、ぜひお伺いしたいと思っておりますが、その中に興味深い問題が含まれているかもしれませんので、テーマにつきましては特に絞り込まず、対話の進展に任せることにしましょう。そのほうが、真偽の判定ではなく双方にとって建設的なものを目指すというこの対話の目的にも合致しているのではないでしょうか。
 
デメリットの有無にかかわらず、人口比率の上での少数派に所属しているというのが、私が定義する「マイノリティー性」です。したがいまして、私の定義では、「特権階級」のようなものも「マイノリティー」の一種ということになります。
 
制服フェチや眼鏡フェチにもマイノリティー性が認められると私は思います。したがいまして、「広義のセクシュアルマイノリティーは社会的な偏見による有形無形のデメリットを受けている存在である」という命題は、「ほとんど真」ですが、「厳密に真」とまでは言えない、ということになります。

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mimipann id:mimipann

返信先ぱんのみみ
確認事項につきましては、私もほとんど同様に考えておりましたので、認識を共有しているということが再確認できましたことをとても喜ばしく思っております。
 
「具体的にだれがセクシュアルマイノリティーであるとお考えですか?」というご質問は、「汝が考える「広義のセクシュアルマイノリティー」の境界線を明確にせよ」という趣旨だと考えてよろしいでしょうか。そうだとすると、その版図のあまりの広大さはmimipannさんを驚かせるに十分なものかもしれません。mimipannさんが例示してくださった性的指向および性自認に関するマイノリティーは、もちろん私の地図の中央に位置しています。そして、その周辺にはさまざまな性的嗜好の領域が広がっています。フェティシズムの領域の中には、制服フェチや眼鏡フェチのような、偏見とはほとんど無縁であるような地区も存在していますが、私は、そのような地区についても、「性に関連する何らかの指標におけるマイノリティー」という定義に反するものではないという理由で、「広義のセクシュアルマイノリティー」の境界線の内側にあると考えています。
 
トランスヴェスタイトは、文化的制度と偏見との関連という問題について考える上でかなり重要だと思われますが、トランスジェンダーとフェティシズムの間のどのような位置にそれを置いて考えればいいのかという点については、私自身、何も分かっていません。

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mimipann id:mimipann

mimipannさん、こんにちは。私の書き込みにリプライしていただきまして、ありがとうございました。また、部分的とは言え、私の考えにご理解をいただきましたことに深く感謝を申し上げます。
 
セクシュアルオリエンテーションは命にかかわるレベルでの事柄であるのに対して、非モテは命にかかわるほどのレベルではない事柄である、という点につきましては、まったくおっしゃるとおりで、反論の余地はまったくありません。したがいまして、反論としてではなく、相互理解のための一助として聞いていただきたいのですが、mimipannさんと私との間で見解の相違を発生させた原因の一つは、セクシュアルマイノリティーという概念の広さの相違ではないかと私には思われます。
 
「セクシュアルマイノリティー」という言葉は、本来は、性的指向におけるマイノリティーという概念を意味していますので、その意味を堅持する限り、非モテをセクシュアルマイノリティーに含めることは暴論と言われてもやむを得ないものです。「非モテはセクシュアルマイノリティーである」と私が述べるときの「セクシュアルマイノリティー」の意味は、本来の意味よりも拡張されたもので、それは、「性に関連する何らかの指標におけるマイノリティー」という意味だとお考えいただきたいと思います。
 
事柄の重大さという観点から見れば、きわめて重いものからきわめて軽微なものまでさまざまなレベルがあるものの、性に関連する何らかの指標におけるマイノリティーは、社会的な偏見による有形無形のデメリットを受けている存在です。「セクシュアルマイノリティー」という言葉を拡張して使用することは、その言葉を本来の意味で使った場合にはこぼれ落ちてしまう問題について考える上で、きわめて有効なのではないかと私は考えています。なぜなら、その言葉を使って考えることによって、なぜ性における非典型性が偏見の対象となるのかという根源的な観点から、それらの問題を捉えることができそうに思われるからです。そして私は、自分が深くかかわっている「非モテ」という現象について、そのような観点から考えてみようとしているわけです。

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mimipann id:mimipann

はじめまして。
 
お気に入りに入れていただきまして、ありがとうございました。私の場合、性的指向はヘテロセクシュアルですが、「非モテ」というセクシュアルマイノリティー*1に所属しておりますので、セクシュアリティーというのは私にとっても重大な関心事です。そんなわけで、これからもよろしくお願い申し上げます。
 

*1 「非モテ」はセクシュアルマイノリティーとしてではなく、「モテ」という望ましい状態の欠如として語られることが多いように思われますが、私はむしろ、「非モテ」をアイデンティティーとして自覚した上で、それに固有の幸福を求めるべきではないかと思っております。

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florentine florentine(磯崎愛)

florentineさん、こんにちは。
 
素敵なトマスの肖像画をプレゼントしていただき、ありがとうございました。返礼といたしまして、若かりし頃のトマスの肖像画を贈らせていただきます。
 
http://www.nndb.com/people/021/000084766/
 
2年前、英知大学が聖トマス大学に名称変更したとき、私もその記念式典に強引に押しかけたのですが*1、そのときにいただいたチケットに印刷されていたのがこの肖像画で、「なんて美少年なんだ」と感心したのも今となっては*2夢の中の出来事だったのではないかと思われる今日この頃です(遠い目)。
 

*1 http://sonzai.org/2007/06.htm#rename
*2 http://www.asahi.com/national/update/0606/OSK200906060048.html

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SIMPLETON id:SIMPLETON

SIMPLETONさん、こんにちは。

「神学大全」の拙訳をブックマークしてくださいまして、ありがとうございました。「ネットにおける重要な公共事業」というお言葉は、しばしばくじけそうになる私にとって無上の励ましとなりました。このお言葉を支えとして、これからの長い道のりを歩んでいきたいと存じます。
 
「完成を「2050年」と言わず「2015年」までにお願い致します」というお言葉につきましては、そのお気持ちは有難く頂戴させていただきますが、多少、言い訳じみたことを述べさせていただくことをお許しください。
 
「完成するのは2050年ごろの予定」と「凡例」に記載いたしておりますが、ここで言う「完成」は言葉どおりの意味ではありません。「神学大全」の拙訳が言葉どおりの意味で「完成」する日は、けっして到来しないでしょう。「神学大全」はあまりにも長大かつ難解で、私ごとき非力な人間が翻訳を「完成」させることなど到底不可能と言わねばなりません。1958年に生まれた私は2050年に満92歳になります。私の寿命は、おそらくその前後の時期に尽きることになるでしょう。「凡例」が述べている「完成」は、訳文に追加すべき次の文字を綴ることが永遠に不可能になるときのことを指しているのです。そのような事情をご賢察いただきまして、「先に進むこと」よりもむしろ「翻訳の質」という観点から厳しい目で見守っていただけますよう心よりお願い申し上げます。

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ひとりごと

☆ 人間は二つの宗教を持つ。葬送儀礼等のための共同体的宗教、そして自分自身のためのファンタジーとしての個人的宗教。
☆ 霊魂は物理的な存在者なのか、それとも純粋な形相なのか。霊魂が何らかの場所に存在するという想念を持つ人間は、前者の立場なのではないか。
☆ パス名を指定するとディレクトリの内容をメッセージにしてGmailの自分のアカウントに送信してくれるプログラムを書いておくと、データのバックアップが手軽にできそう。

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florentine florentine(磯崎愛)

florentineさん、こんにちは。
 
「愛がなくちゃね?(SFパロディ映画の巻)」を読ませていただきました。「ギャラクシー・クエスト」は名作ですよね。パロディーとしての完成度の高さもさることながら、ストーリーの完成度も半端じゃないので、「ラストのほうは涙腺にクル」というのは激しく同感です。
 
パロディーとかパスティーシュとか本歌取りとかが好き、というのは私も同じです。なぜそのような遊びは快楽中枢をくすぐるのかという理由については、そのような遊びが、テキストフェチの人間による自分が愛したテキストに対する愛情表現なので、同じテキストを愛する読者に対して愛情を再確認させる効果があるからではないか、などと推測しているのですが、本当のところはよく分かりません。
 
パロディーとかパスティーシュとか本歌取りとかは、あくまで作者がそれを意図している場合にのみそのように呼ばれるのが普通ですが、作者がそれを意図していなくてもそう呼んでかまわないことにしたとすると、ほとんどすべての文学や演劇や映画はパロディーとかパスティーシュとか本歌取りになるのではないか、などと考えていたら、以前、そのようなことをブログに書いたことを思い出しました。
 
宇宙に一つだけの真理
http://sonzai.org/2006/11.htm#tousaku
 
最後に蛇足を一つ。ウンベルト・エーコの「帝国の地図(縮尺1/1)」はパロディーとかパスティーシュとか言う以前に、小説として名作だと思います。

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逆シミュレーション音楽

マルガサリによる4ビットガムラン「愛の讃歌」の演奏と三輪眞弘氏によるワークショップについてのメモ。
 
☆ 日時:2009年10月25日(日)12:10~14:00(12:10~12:50はマルガサリによる「愛の讃歌」の演奏。13:00~14:00は三輪眞弘氏によるワークショップ)。
☆ 場所:大阪大学21世紀懐徳堂(旧イ号館)1階多目的スタジオ。
☆ 「愛の讃歌」は逆シミュレーション音楽の流れの中にあり、その中で最も完成度の高いものである。
☆ 4桁の2進数を4拍のリズムにしている。
☆ 二人がグンデルに向かい合って座り、一方は0から15へ数え上げ、他方は15から0へ数え下げる。二人の数を足したものは常に15になる。一方が0になったときにゴングを鳴らす。
☆ 歌とサロンは、4拍を3拍ごとに区切っている。
☆ 2進数の桁に対応する鍵盤は一定であるが、初期値は演奏ごとに異なる。
☆ 4ビットガムランが可能な身体がこの世に存在することがすばらしい。
☆ 「またりさま」(右手に鈴、左手にカスタネットを持つ8人の人間が輪になって座り、順番に音を出す。どちらの楽器を鳴らすかは、XORの規則で決まる)は、ものすごく難しい。子供を拉致して教育すれば、ものすごく速い「またりさま」ができるが、それは暴力的である。しかし、それを国家がやれば暴力的とは言えない。
 
感想。
☆ 「愛の讃歌」は、機械的という印象はなく、美しい楽曲である。コスモス的な宇宙を感じさせる。
☆ 逆シミュレーション音楽というのは興味深い発想である。三輪氏自身によってインスタレーションやパフォーマンスにも応用されているようだが、さらに異なる分野へも応用してみると面白いのではないだろうか。
☆ 子供を拉致して教育すれば云々という話は、何が言いたかったのか少し疑問が残る。西洋音楽という制度の中で子供たちに楽器を習わせることを批判したかったのだろうか。

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ダイアリー書いたよ!

ひょうごんテックというNPOが運営しているメーリングリストに投稿デビューした話を書いてみました。
http://sonzai.org/2009/debut.htm
ひょうごんテックというのは、NPOに対するIT系の支援を目的として活動しているメタNPOです。
▼はてなハイクの今月のスポンサー

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