shigeto2006's entry
id:shigeto2006
ニートなのか、高等遊民なのか?
最近ブクマした
id:elm200 氏の『elm200 のノマドで行こう!』の記事を読んで、私が思ったことについて。
パブリック・マン宣言
http://d.hatena.ne.jp/elm200/20120215/1329281346
ソーシャル拡大家族による新時代の社会保障
http://d.hatena.ne.jp/elm200/20120216/1329348909
私の典型的な一日
http://d.hatena.ne.jp/elm200/20120218/1329521397
はてブのコメントでは辛辣な論評が多いのですが、私はこれらの記事を読んでとても他人事とは思えなかったのですよ。何しろ、elm200 氏の現状は数年前の私とあまりにも酷似していたのですから。当時の私は会社勤めを辞めた(主に健康上の理由による)ものの、それから何をすべきなのかわからない状態で、まさに世間でいう「ニート」そのものだったのです(この言葉が出てきたのもちょうどその頃)。いや、elm200 氏のようなエリートと私を同一視すべきではないのでしょうが、あれほどのスキルを持った人ですらこうなってしまったという現実に驚きと恐怖を感じてしまったわけです。
私がそのような生活を送ってきて最も参ったのは、日本社会には失業した成人男性の居場所が本当に無いという現実でしたね。既に終身雇用・年功序列は普遍的なものではなくなっているにもかかわらず、世間ではそのレールから外れた人間は相変わらず白眼視される。日本では仕事がない人間は引きこもりになるほかないという残酷な現実を、私は突き付けられたのでした。結局、私は失業している間に日本語教師の資格を取得して、中国の上海・大連でしばらく日本語教師の仕事をすることになったのですが、海外に行くことを決断したのもそのような状況から逃げ出したかったからなのです(※)。
※その結果、日本では得られなかった別の視点で物事を見られるようになった上に、華流・韓流やバスケットボール(NBA)などの新たな趣味分野を開拓できたので、有意義な経験ではありましたけどね。(その代わり、昨日の記事で書いたように野球を見る趣味が無くなった)
百年ほど前なら、かつての私のような人間はブコメでもあったように「高等遊民」と呼ばれたのでしょうが、今の日本社会では「ニート」あるいは「穀潰し」とでも言われるわけで、当時のことを思い出すだけでも気が重くなる。このような世間では恥とされる現実を敢えてさらけ出した elm200 氏の勇気には頭が下がる思いがしたのです。今までこの人の論説にはあまり賛同したことがなく、批判する記事を書いたこともあったのですが、今回の一連の記事については深く考えさせられることになったのでした。
さて、私の場合は中国で日本語教師の仕事をしてから、一度本格的に中国語を勉強したいと考えて(日本語教師の待遇が良くないのもその理由の一つ)、昨年より上海の大学に留学しているのですが、それもあと半年ほどで終わる予定です。その後の進路はまだ未定ですが、当分の間はまた以前のような生活に戻ることになるのでしょう。私の現状については、両親はまだ健康で経済的にも問題はなく、私自身も既に結婚をあきらめているので(どう考えても経済的に無理)、それほど将来を悲観することもないのでしょうが、私のような人間が増えつつある時代における社会保障のあり方というのは重要な課題だと思うのですよ。まあ、「維新」などという時代錯誤なスローガンを掲げる政治家が支持される現状では、本質的な議論など無理でしょうけど。
パブリック・マン宣言
http://d.hatena.ne.jp/elm200/20120215/1329281346
ソーシャル拡大家族による新時代の社会保障
http://d.hatena.ne.jp/elm200/20120216/1329348909
私の典型的な一日
http://d.hatena.ne.jp/elm200/20120218/1329521397
はてブのコメントでは辛辣な論評が多いのですが、私はこれらの記事を読んでとても他人事とは思えなかったのですよ。何しろ、elm200 氏の現状は数年前の私とあまりにも酷似していたのですから。当時の私は会社勤めを辞めた(主に健康上の理由による)ものの、それから何をすべきなのかわからない状態で、まさに世間でいう「ニート」そのものだったのです(この言葉が出てきたのもちょうどその頃)。いや、elm200 氏のようなエリートと私を同一視すべきではないのでしょうが、あれほどのスキルを持った人ですらこうなってしまったという現実に驚きと恐怖を感じてしまったわけです。
私がそのような生活を送ってきて最も参ったのは、日本社会には失業した成人男性の居場所が本当に無いという現実でしたね。既に終身雇用・年功序列は普遍的なものではなくなっているにもかかわらず、世間ではそのレールから外れた人間は相変わらず白眼視される。日本では仕事がない人間は引きこもりになるほかないという残酷な現実を、私は突き付けられたのでした。結局、私は失業している間に日本語教師の資格を取得して、中国の上海・大連でしばらく日本語教師の仕事をすることになったのですが、海外に行くことを決断したのもそのような状況から逃げ出したかったからなのです(※)。
※その結果、日本では得られなかった別の視点で物事を見られるようになった上に、華流・韓流やバスケットボール(NBA)などの新たな趣味分野を開拓できたので、有意義な経験ではありましたけどね。(その代わり、昨日の記事で書いたように野球を見る趣味が無くなった)
百年ほど前なら、かつての私のような人間はブコメでもあったように「高等遊民」と呼ばれたのでしょうが、今の日本社会では「ニート」あるいは「穀潰し」とでも言われるわけで、当時のことを思い出すだけでも気が重くなる。このような世間では恥とされる現実を敢えてさらけ出した elm200 氏の勇気には頭が下がる思いがしたのです。今までこの人の論説にはあまり賛同したことがなく、批判する記事を書いたこともあったのですが、今回の一連の記事については深く考えさせられることになったのでした。
さて、私の場合は中国で日本語教師の仕事をしてから、一度本格的に中国語を勉強したいと考えて(日本語教師の待遇が良くないのもその理由の一つ)、昨年より上海の大学に留学しているのですが、それもあと半年ほどで終わる予定です。その後の進路はまだ未定ですが、当分の間はまた以前のような生活に戻ることになるのでしょう。私の現状については、両親はまだ健康で経済的にも問題はなく、私自身も既に結婚をあきらめているので(どう考えても経済的に無理)、それほど将来を悲観することもないのでしょうが、私のような人間が増えつつある時代における社会保障のあり方というのは重要な課題だと思うのですよ。まあ、「維新」などという時代錯誤なスローガンを掲げる政治家が支持される現状では、本質的な議論など無理でしょうけど。




