表現の自由
> はてブで「お前が言うな」タグをつける行為と、公共の媒体で特定の趣味趣向に対して「キモイ」と表明する行為のどちらがどれだけ他者の自由を侵害するものであるかについては意見の分かれるところだと思います。
これについては仰る通りです。彼女もまた、差別感情の共有を図ることで、そうした漫画作品になくなって欲しくない、或いは無碍に規制すべきでないとする声を封殺しようとした。意識的、無意識的を問わず、同じような形で特定の意思表示がしづらくなる空気を作り上げようとしてしまう人は多くいる。
そのことをその通りに批判するなら、これは正当な批判/反論であるとおいらも思うし、同意もする。
しかし、過去をあげつらい、そうした過去を持つ者にそれを言う資格がない、とする表明は、同様の過去を持つ者がポルノ相当品の規制や流通ルールに関してものを言いにくくする類の言論封殺であり、然るに「やってることは同じじゃないか」ということになってしまっている。
少なくとも、これでは議論どころか、対等な対話すら成り立っていない、ということになってしまう。
これについては仰る通りです。彼女もまた、差別感情の共有を図ることで、そうした漫画作品になくなって欲しくない、或いは無碍に規制すべきでないとする声を封殺しようとした。意識的、無意識的を問わず、同じような形で特定の意思表示がしづらくなる空気を作り上げようとしてしまう人は多くいる。
そのことをその通りに批判するなら、これは正当な批判/反論であるとおいらも思うし、同意もする。
しかし、過去をあげつらい、そうした過去を持つ者にそれを言う資格がない、とする表明は、同様の過去を持つ者がポルノ相当品の規制や流通ルールに関してものを言いにくくする類の言論封殺であり、然るに「やってることは同じじゃないか」ということになってしまっている。
少なくとも、これでは議論どころか、対等な対話すら成り立っていない、ということになってしまう。
表現の自由
本日の気になった話題。
http://b.hatena.ne.jp/entry/blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1440764.html
この中で、
id:bn2islander さめの「「表現の自由」を侵害する「お前が言うな」タグが乱立している」とする発言に対して、「それは表現の自由の侵害ではなくあくまで批判/反論である」とする反論がいくつか見られた (
id:sy0ta さめ、
id:MarriageTheorem さめ、
id:pochi-p さめ)。
この「お前が言うな」という反応は、民主党の細野議員との不倫騒動に関連し、「日本人はエロい、極端にエロい」などと言った発言に対し、「不倫をするような奴はエロいに決まっているから、日本社会におけるゾーニングの不備を理由にエロいなどと批判する権利はない」といった趣旨であると理解した。
これが誤解でないのであれば、おいらはこれを「表現の自由の侵害ではなくあくまで批判/反論である」とするのは詭弁であると解釈せざるを得ない。
不倫にいたる背景についてはおいらも知らないし、報道に携わる人間が特定の政治家と関係を持つことも批判に値するかも知れない (キャスター個人、または番組構成スタッフ・テレビ局独自の政治姿勢とはまた違った次元の恣意性として報道に反映される可能性はあったので)。が、それを以て彼女に一生涯「不貞な女」とのレッテルを貼り続け、性倫理に関するコメントが出るたびに、その内容とは関係無しに「お前は不倫などして性に対する倫理観が欠如した女であるくせに何を言っているんだ」と言われ続けなければならないのだとしたら、それは社会倫理の顔をした一方的な価値観によって発言の機会を損なわれていると解釈せざるを得ないのではないか?
自由とは常に平等とセットで存在する概念であるはずだ。平等でなければ自由は存在し得ない。支配と服従は自由を制限する。
児童ポルノ規制を始めとして、表現規制の話題が上がるたびに、「表現の自由」は守られなければならない、という主張は多く掲げられるが、実際の所、この「表現の自由」という言葉は、かなり曲解されてしまっているのではないかと危惧している。というのも、自由というものは社会を構成する人々が、お互いに強調し合い、尊重しあって初めて成立するものであり、「公権力による支配からの自由」はそうしたものの一つに過ぎないはずなのに、そればかりが重要視されるが故に、結果として差別感情の共有や、一方的な価値観に基づく社会倫理の蔓延などがもたらす感情的な同調圧力が、それらに対抗する意思の表明を封じ込めてしまう実態への思慮に欠けているように見受けられるからだ。
単に対立する利害に対抗したいだけならば、そうしたやり方でも良いのかも知れない。政治的には上手いやり方だとは到底思えないが。しかし、真に「表現の自由」を社会が守っていかなければならないのだと本気で思っているのであれば、自分の発言が他者の自由な表明を阻害している可能性について、常に気を配るべきなのではないか?
特定の立場であること、特定の人種・民族であること、特定の経験をしていること、特定の思想や嗜好を持っていること、そう言ったあらゆる属性を以てしても、その人らの表現を尊重し合える社会でなければ、真に「表現の自由」な社会であるとは言えないのではないか。
実際、マイノリティな性的嗜好を持つ人の苦悩は、計り知れない。例えばこれを読んで欲しい。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/sports/5578/1104374019/129
この表明は、恐らくは匿名掲示板だからこそ可能だったのだろうと思う。実名で表明した場合、所属するコミュニティから事実上抹殺されていたかも知れない。
こうした表明を、匿名でなければなしえない状況を、真に表現の自由な社会であると言えるだろうか?
そこまで厳密に表現の自由な社会を目指す必要など無いと思うなら、それでも構わない。
しかしそれならば、自身の対立する利害への対抗のみを目的として、軽々しく「表現の自由」などという言葉を用いないで欲しい。
最後に、あの「痛いニュース」の記事を見て、或いはこのブックマークコメントでの反応を見て、「表現の自由」が謳歌されていることに生理的嫌悪感を示しておられる方々が、果たしてどのように感じるか、想像して欲しいと思う。
いつだって、こうした聖戦で一番足を引っ張っているのは、この手の話題で糞の投げ合いに終始する衆愚だ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1440764.html
この中で、
この「お前が言うな」という反応は、民主党の細野議員との不倫騒動に関連し、「日本人はエロい、極端にエロい」などと言った発言に対し、「不倫をするような奴はエロいに決まっているから、日本社会におけるゾーニングの不備を理由にエロいなどと批判する権利はない」といった趣旨であると理解した。
これが誤解でないのであれば、おいらはこれを「表現の自由の侵害ではなくあくまで批判/反論である」とするのは詭弁であると解釈せざるを得ない。
不倫にいたる背景についてはおいらも知らないし、報道に携わる人間が特定の政治家と関係を持つことも批判に値するかも知れない (キャスター個人、または番組構成スタッフ・テレビ局独自の政治姿勢とはまた違った次元の恣意性として報道に反映される可能性はあったので)。が、それを以て彼女に一生涯「不貞な女」とのレッテルを貼り続け、性倫理に関するコメントが出るたびに、その内容とは関係無しに「お前は不倫などして性に対する倫理観が欠如した女であるくせに何を言っているんだ」と言われ続けなければならないのだとしたら、それは社会倫理の顔をした一方的な価値観によって発言の機会を損なわれていると解釈せざるを得ないのではないか?
自由とは常に平等とセットで存在する概念であるはずだ。平等でなければ自由は存在し得ない。支配と服従は自由を制限する。
児童ポルノ規制を始めとして、表現規制の話題が上がるたびに、「表現の自由」は守られなければならない、という主張は多く掲げられるが、実際の所、この「表現の自由」という言葉は、かなり曲解されてしまっているのではないかと危惧している。というのも、自由というものは社会を構成する人々が、お互いに強調し合い、尊重しあって初めて成立するものであり、「公権力による支配からの自由」はそうしたものの一つに過ぎないはずなのに、そればかりが重要視されるが故に、結果として差別感情の共有や、一方的な価値観に基づく社会倫理の蔓延などがもたらす感情的な同調圧力が、それらに対抗する意思の表明を封じ込めてしまう実態への思慮に欠けているように見受けられるからだ。
単に対立する利害に対抗したいだけならば、そうしたやり方でも良いのかも知れない。政治的には上手いやり方だとは到底思えないが。しかし、真に「表現の自由」を社会が守っていかなければならないのだと本気で思っているのであれば、自分の発言が他者の自由な表明を阻害している可能性について、常に気を配るべきなのではないか?
特定の立場であること、特定の人種・民族であること、特定の経験をしていること、特定の思想や嗜好を持っていること、そう言ったあらゆる属性を以てしても、その人らの表現を尊重し合える社会でなければ、真に「表現の自由」な社会であるとは言えないのではないか。
実際、マイノリティな性的嗜好を持つ人の苦悩は、計り知れない。例えばこれを読んで欲しい。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/sports/5578/1104374019/129
この表明は、恐らくは匿名掲示板だからこそ可能だったのだろうと思う。実名で表明した場合、所属するコミュニティから事実上抹殺されていたかも知れない。
こうした表明を、匿名でなければなしえない状況を、真に表現の自由な社会であると言えるだろうか?
そこまで厳密に表現の自由な社会を目指す必要など無いと思うなら、それでも構わない。
しかしそれならば、自身の対立する利害への対抗のみを目的として、軽々しく「表現の自由」などという言葉を用いないで欲しい。
最後に、あの「痛いニュース」の記事を見て、或いはこのブックマークコメントでの反応を見て、「表現の自由」が謳歌されていることに生理的嫌悪感を示しておられる方々が、果たしてどのように感じるか、想像して欲しいと思う。
いつだって、こうした聖戦で一番足を引っ張っているのは、この手の話題で糞の投げ合いに終始する衆愚だ。
愛を金に変えて暖かな世の中を一気に殺伐とさせる
どーんなーにこんなんでー くーじーけーそーおーでーもー
しーんーじーるーこーとーさー かーなーらーずーさいごに金は勝つー♪
しーんーじーるーこーとーさー かーなーらーずーさいごに金は勝つー♪
T.MURACHI
何となくかけてたストリーミングラジオで、 Scatman John が流れた。チャンネルは Espritjeune 90。時々ガチで懐かしい Dance/Techno 系 pops が流れる。オススメ。





