「あの日」のハイクに書いたこと

"「あの日」のハイクに書いたこと" でひとこと

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junshoku-159
mo-he-ya

「あの日」のハイクに書いたこと

余震が酷くて眠れないから膝枕してくれる子がいないかな!とか書いてあった。
うむ。2年前も平常運転。
sumimaro

「あの日」のハイクに書いたこと

先生のステマしてた。
その後に仕事に行って震災が起き、停電したので帰宅して余震におびえていたようです。
停電してるから石油ストーブ出してて、暗い中でうどん(晩御飯)食べてすぐに寝て、
4時ごろ目が覚めて、ベッド横の机にあるルーターの明かりがついてて(=電気復旧)
物凄く安心したのと、ハイカーさんのねとらじと、ハイクに書きこまれ続けていた情報に
とてもとても救われた記憶があります、余震は記憶にない・・・忘れたいんだろうか・・・
star-gazer

「あの日」のハイクに書いたこと

13:30、ロールちゃんの日だなんて書いてロールちゃんを食べていた。
次のエントリは15:30すぎ。ハイカーさんがオフィスから避難するときに無事で!って書き込み。
テレビはつけられなかった。ハイクだけが頼りだった。

きょうは14:46分前後だけテレビをつけました。テレビ中継から流れるサイレンに合わせて黙祷しました。
でも祈りを捧げる時間はその30分後1時間後数時間後…なのが残酷です。
muimoi

「あの日」のハイクに書いたこと

「おはようございます。
今日から電車のダイア改正のところが多いのかしら?
とりあえずいつも乗っている時間は変わらず安心しました。
さて、今日終わったらお休み!
編集作業頑張りまっせ〜p(^^)q」

図書館報の担当だったあの頃・・・
地震が起きた時間はmacで編集作業をしていた。
「あれ、また地震?最近地震多いですね。」
とアルバイトさんに話しかけた直後に揺れが大きくなり、ヤバイ!と事務所のドアを開けに行って、閉まらないように固定してから外へ出たのだった。

その後は色々夢中(霧中?)だったため、3日間程ハイクしていなかった。
図書館の利用者や職員に怪我がなかったことに、安堵したのは覚えている。
hana_an

「あの日」のハイクに書いたこと

「こたつ付けっぱなしだった!火事にならなくて良かった」

なんかもうだめすぎるし、2年経った今もよくこたつ消し忘れます。
dai6tenmaow

「あの日」のハイクに書いたこと

新橋から30キロを6時間徒歩で帰った事。
彼の最中にもボクシング・ジムにて
トレーニングに黙然と汗を流すボクサーの姿に
教えられた事。
chibikko-uta

「あの日」のハイクに書いたこと

http://h.hatena.ne.jp/chibikko-uta/?date=2011-03-11
「無事を心から願う。
そして、それと同時に自分がしなくちゃいけないことから目をそらさない。」
これは「あの日」だけじゃなくて、これからもちゃんとしてかなきゃだなぁ。
Moriyama

「あの日」のハイクに書いたこと

おはようと友人の安否を気遣う書き込みだけだった。
翌日からは早速ネタを織り交ぜているのが何ともなあという気分。
気恥ずかしいけれど我ながらいいことを言ってたみたいだ。
http://h.hatena.ne.jp/Moriyama/189923769342437445
yam3104
KANDWA
chocochocochip

「あの日」のハイクに書いたこと

火災警報鳴ったって書いてから、外へ出るまで1時間…高層ビルの非常階段に閉じ込められてましたよ(人が多すぎて詰まってた)。結経火災はなかったので本来避難しなくても良かったという…。
避難誘導はその後改善されているはずですけど、実際ことが起きたときにうまくいくのかっていうね。

この後は結局オフィスには戻れず、夕方から帰宅しようとしたけど、ケータイの電池が危なくてハイクはなし。帰り着いた次のハイクは12日の2時過ぎでした。
kmbysknd

「あの日」のハイクに書いたこと

地震前後で「調子」ががらっとかわっているなあ(そりゃそーだ)。
http://h.hatena.ne.jp/kmbysknd/?date=2011-03-11

あの日は、「歩いて帰るなら明るいうちに」と16:00には職場を出て徒歩で帰宅(職場から自宅まで7kmくらい)。湾岸あたり(って豊洲ですが)にいた夫は結局帰宅できずに門前仲町の友人が収容してくれて、翌朝帰宅。
 
あの日の夜は、緊急地震速報がキツかったね。
mitsubachiko

「あの日」のハイクに書いたこと

ちょうど仕事が忙しい時間でした。あんなにも長く激しく揺れた感覚は阪神大震災以来だった。まだ帰り道でとてつもない被害が出ていることも知らず…帰ってから被害の大きさに目を疑いました。
あれから1年…まだまだ変わらぬ思いと支援が必要なんだと改めて思います。
koro818

「あの日」のハイクに書いたこと

http://h.hatena.ne.jp/koro818/?date=2011-03-11

ぬこで始まりぬこで終わり(笑)

当時は高層ビル内にいました。
同じ部屋にいた緊急地震速報があちこちで鳴り始めて一瞬皆が止まった瞬間にすごい揺れ。
机の下に隠れるのも大変で
あっという間に避難放送。
広げてあった荷物は置き去りに11階から階段で降りていって、下にはすごい人で溢れてて余震で揺れるとビルがゆらゆらと揺れて。
電話ももちろん繋がらなくて一気に不安になって。
使ってる電車はすぐさまシャッター閉まってビックリしたなぁ。
でも、同じビル内にいた見知らぬ人と偶然にも家が近くて帰る手段も歩きしかなくて携帯片手に2人で帰りました。
歩いてる最中のお店の酷い様やバスの中の人が溢れんばかりで今にも横転しそうに走ってたのを今でもよく覚えてます。

あと2時間ちょっとであの時間。
いろんな事を思いながら過ごしたいと思います。
kohalogical

「あの日」のハイクに書いたこと

http://h.hatena.ne.jp/kohalogical/?date=2011-03-11
家にいたこともあり、わりと早い段階で「ついったこわいな」とつぶやいている。
そして、思えば翌日だか翌々日に模試を受けに行った。
結局、ぐらぐらする中で試験受けてたなー。
そして、あのとき観ていたドラマのうち、四十九日のレシピ→相棒9→ER最終シーズンが
すべて終わった上での地震だったことも思い出した。
emuzou

「あの日」のハイクに書いたこと

http://h.hatena.ne.jp/emuzou/?date=2011-03-11
家に1人。と猫たち。
母入院中(翌日退院予定)。ある意味何かあっても一番安全な場所。
岩手の祖父母は当然ながら連絡つかずだけど津波の心配はない山間部。
とりあえず身内の心配はあまりしていないけど、絶え間なくやって来る余震にピリピリしていた。
ガスの復旧方法をスタコメで教えてもらった。
猫を観察して気を紛らわせていた。
ハイクがあってよかった。猫がいてよかった。
chargeup

「あの日」のハイクに書いたこと

調べたら何も書いていなかった。自分の住んでいる地域が特定されかねないような話題には触れないようにしているからだが、これだけのことになるのなら何か書いておけばよかったなと思う。だから今書く。徒歩で帰って来てずっとニュースを見ていた。自分に被害がなかったので他人事だった。
oo66

「あの日」のハイクに書いたこと

http://h.hatena.ne.jp/oo66/?date=2011-03-11
ひたすら、実況に 徹してるなあ。
氏も 私も、災難の渦中に あっても、どこか 他人ごとのフシがある、
そんな性質が 色濃く出てた瞬間でした。
 
しかし あの部屋で、よく 何も 落ちて來なかったなあ。と、奇跡で 仕方がない。
 
夜になって、
当時、首都高の すぐ傍 (明大前) に 住んでいたので、玄関出ると すぐに、
新宿からの 帰宅難民者の長蛇の列が 目の当たりに見えて、ものすごかった。
ちうど、ハイカーさん (の旦那さん) が、その列の中にいた と云うのを見て、
『自転車あるから、貸してあげるよおおお~~~!!!!』
と云う、思いで いっぱいだった;
(連絡 届かなかったみたいだけど)
(´;ω;`)
 
kompeitou

「あの日」のハイクに書いたこと

玄関に伯方の塩が落ちていた
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