ミシェル・ド・セルトー『日常的実践のポイエティーク』

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yanoz

ミシェル・ド・セルトー『日常的実践のポイエティーク』

市場や官僚制によって日常は支配されるがままになっているわけではなく、日常生活の中にある予測不可能なものに創造性があるよ、と語る本。

著者は歴史家だけど、フーコーとブルデューを突き合わせながら理論的考察がなされたりもしている。
フランス現代思想を踏まえた著作が、70年代の終わりにどんな風に書かれていたのか、良くも悪くも、うかがえる。

エクリチュールやディスクールという用語がカタカナで頻出したり、デリダが援用されたりしているけど、書かれる言葉が体制化につながる、そこを逃れる文字以前の口頭の文化により豊かなものを見る、といった図式が描かれていて、思想としてはわりと単純な反近代のようにも思える。

今となってはいささか牧歌的にも見える。

ちょっと退屈するところもありつつ、斜め読み気味ながら通読できたのは、いかにもフランス的な、ちょっと詩的な叙述の中に、いろいろ喚起するものがあって、面白かったから。

歴史の底にうごめく語られざる不可視の実践の塊みたいなものが浮かび上がってくるみたいな。

読み始めた時は、パリの同時多発テロが起きる前だった。

ニューヨークの、今はなき貿易センタービルに登る経験の叙述から始まる都市論の章があったりもする。

その傍らに、死や事件を制度の外に置こうとする社会のあり方を、具体的な場面から語る章があったりもする。

余白に、同時多発テロについて語る余地が残された本だとも思える。

余談だけど、鎌田慧『自動車絶望工場』の仏訳が参照されていて、あの本仏訳されてたのか、と、ちょっと驚いた。



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