山上憶良

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山上憶良

憶良渡来人説については、白川静氏も『後期万葉論』の中で取り上げ、この説を首肯している。

《憶良が遣唐使に随行する遣唐少録に抜擢されるまでの経歴は、まったく知られていない。しかし四十歳を過ぎるまで官途にもつかなかったとすれば、官人の出身でないことは明らかである。またこの時はじめて抜擢を受けたとすれば、かれは遣唐使随員として必要な学力技能を、すでに備えていたのであろう。そのような学力技能をもちながら、それまで出仕の道がなかったとすれば、その出身によほどの事情があるにちがいない。》

《憶良渡来人説は、早く土屋文明氏や井村哲夫氏らによって提起されていたが、渡部和雄氏の『憶良の前半生』(『解釈と観賞』昭和四四年二月)によって改めて主張された。その名が邦人の命名法と異なること、臣の姓は、同じく渡来人である吉田宜(よしだのよろし)が連姓を得ているように、後得のものであることなどを論拠とするものであったが、この二点について、青木和夫氏の『憶良帰化人説批判』(『万葉集研究』第二集所収)があり、その二点は決定的な論拠としがたいという批判があった。なお渡部氏の口頭発表の時には、憶良は川島皇子舎人で、史書や写経の仕事をしていたであろうという推論なども、なされていたという。》

《これより少しおくれて、比護隆界氏に『山上臣憶良の出自』(『文芸研究』二八、昭和四七年一一月)があり、帰化第一世は無官無姓を原則とすること、大宝令下の地方官制度における任官事情を詳細に調査、憶良の前後に伯耆守に任官したものがともに帰化系の人であることが明らかとなった。さらに中西進氏『憶良渡来人論 補遺』は、臣姓・氏名・名の世襲の問題などを再論、憶良は白村江事件のときに渡来した憶仁の子であろうとする自説を補強された。諸般の事情から考えて、この渡来人説は、ほぼ疑いないように思われる。》

白川氏はまた、「憶良がもと百済人であったとすれば、渡... (続きを読む)
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山上憶良

中西進氏は、『悲しみは憶良に聞け』(2009年)で、山上憶良(660-733)は、百済から来た渡来人ではないかという説を述べている。

六六〇年に百済は唐・新羅の連合軍によって滅亡に追い込まれ、六六三(天智二)年八月、百済救援に乗り出した日本は白村江の戦いで大敗北を喫する。『書紀』の天智二年九月条には、佐平(さへい)余自信(よじしん)・達率(たつそつ)木素貴子(もくそきし)・谷那晋首(こくなしんす)・憶礼福留(おくらいふくる)らが、船を出してはじめて日本に向かったという記事がある。
ちなみに、韓国ドラマ『薯童謠(ソドンヨ)』を見ると、佐平(サピョン)や達率(タルソル)が百済の宮廷での官位を表わすことがわかる。
中西氏は、このとき数え年四歳の憶良も父親に連れられて日本に渡ってきたのではないかと推測している。

中西氏が憶良の父と見ているのは、天智天皇の侍医となった憶仁(おくに)という百済人である。
天武天皇巻の朱鳥(あかみとり)元年五月九日条に、「この日、侍医の百済人億仁(おくに)が、病気で死にそうになったので、勤大弐の位を授け百戸の食封を賜わった」という記事がある。

『書紀』の天智四年二月条には、「百済の民、男女四百人あまりを、近江国の神崎郡(かんさきのこおり)に住ませた」とあり、天智八年条には、「佐平余自信、佐平鬼室集斯(きしつしゅうし)ら男女七百余人を近江国蒲生郡(がもうのこおり)に移住させた」という記事がある。
中西氏は、憶良は蒲生野近辺に住んでいたのではないかと考える。

《蒲生野は紫草(むらさき)を栽培していたことで知られています。朝廷は紫色をもっとも尊重していましたから、その染料を必要としていました。紫草から紫の染料をとる技術をもっていたのは、朝鮮半島からの渡来人でした。》

『万葉集』巻四・五六九に、麻田陽春(あさだのやす)という渡来人の歌がある。
《韓人(か... (続きを読む)
spectre_55

山上憶良

返信先gustav5
>このうたで完璧に貧窮問答歌の山上憶良のイメージがかわりました。

おや、そースか?
憶良の歌というと貧窮問答歌と並んで有名なヤツに
 
「憶良等は 今は罷らむ 子泣くらむ その彼の母も吾を待つらむぞ」
(自分(憶良)はそろそろ失礼します。子供が泣いてるだろうし、その母ちゃんも自分を待ってるだろうから)
 
てのがあるじゃないですか。マイホームパパ的な。
自分はそこから物凄く人間臭い、人懐こい「ぬくい」人…というイメージを憶良に持ってて、
「貧窮問答歌」も、知性から世の中を憂う歌というよりは、
歌われている現状を目の当たりにした憶良が、
「俺にはこれを歌に詠むことぐらいしかできねぇ、ちきしょうめ(大泣)!」
とかいう感じで感情をぶつけた歌かなあ、とか思ってたんですよ。
だから「紐解き設けな~」みたいなちょいエロな歌も、
なんつーか「ぬくい」感じからすると違和感はなく思ったのですがー。
gustav5

山上憶良

「天漢相向き立ちてわが恋し君来ますなり紐解き設けな」
ってやつが万葉集であります。
天漢とかいて天の川とよみます。で、この歌なにをいってるかっていうと意訳すれば織姫の気持ちを代弁して、
「今夜は天の川をこえて恋しいあの人が来ます、そして私は着物の紐を解いて待つの」
ってうたのはず。このうたで完璧に貧窮問答歌の山上憶良のイメージがかわりました。
昔の人ってちょっとしたエロを感じさせるものでも、のびのびと歌ってたっていうのが、なんかうらやましい。

co8co8

山上憶良

山上おくらいり
co8co8

山上憶良

山上大蔵省っていまないな・・
junshoku-159

山上憶良

今日はオクラ料理だ。by大伴家持
co8co8
tamekko

山上憶良

銀(しろがね)も金(くがね)も玉もなにせむに
優(まさ)れる宝 子に及(し)かめやも
(『子等を思ふ歌』)