表現規制問題
私が知る限りでも、この国において表現の自由は意外と規制されていると思うんです。
たとえば「広島市暴走族追放条例事件」は、広島市の条例が暴走族による集会を禁じており、これが表現の自由に抵触するのではないか?という違憲性を争った裁判です。最終的には合憲限定解釈という考え方で条例が正しいという判決が出ていますが、興味深い反対意見が出ています。
あるいは明文化されていないものでは、「不敬罪」に相当するタブーがあるでしょう。皇室に批判的な表現です。このような表現活動をすると別件逮捕されたり、様々な嫌がらせや「自粛」を要求されることがしばしばニュースになっています。日本は罪刑法定主義ではなかったのか?と疑問を持たざるを得ない事例ですね。
このように恣意的な「規制」が運用されているのは、日本人の民度が低いから、日本人がバカだからというよりも、あまり民度の高低を意識する必要がなかったからとも考えられます。先の論文でもこのような「無関心」について言及されていますが、政治に無関心でも幸せに暮らせる社会とは非常に完成度の高い社会です。でもそんな理想郷のような日本は、だいぶ前に終わっていたということでしょう。
たとえば「広島市暴走族追放条例事件」は、広島市の条例が暴走族による集会を禁じており、これが表現の自由に抵触するのではないか?という違憲性を争った裁判です。最終的には合憲限定解釈という考え方で条例が正しいという判決が出ていますが、興味深い反対意見が出ています。
あるいは明文化されていないものでは、「不敬罪」に相当するタブーがあるでしょう。皇室に批判的な表現です。このような表現活動をすると別件逮捕されたり、様々な嫌がらせや「自粛」を要求されることがしばしばニュースになっています。日本は罪刑法定主義ではなかったのか?と疑問を持たざるを得ない事例ですね。
このように恣意的な「規制」が運用されているのは、日本人の民度が低いから、日本人がバカだからというよりも、あまり民度の高低を意識する必要がなかったからとも考えられます。先の論文でもこのような「無関心」について言及されていますが、政治に無関心でも幸せに暮らせる社会とは非常に完成度の高い社会です。でもそんな理想郷のような日本は、だいぶ前に終わっていたということでしょう。
表現規制問題
差別的表現に関する一試論」
http://members.jcom.home.ne.jp/katote/08nishida.htm
個人的に興味深いのは、ドイツではヘイトスピーチを規制しているが、これは彼らの民度が十分に高いから運用できているのであって、日本ではやめたほうがよいという立場を著者がとっていることですね。
民度の低い国で表現規制をすると、恣意的な運用による思想統制が可能になるというのです。
このような立場では、排外主義にも他の政治的主張と同様に言論の自由を保証せざるを得ず、特定の個人に対する暴行、脅迫、名誉毀損などの犯罪について、個別に取り締まることしかできません。現状維持で様子見ということです。
ただ、ひとつ解決の糸口があるとすれば、排外主義が敵視している外国人にも表現の自由が保証されているかどうか?という論点でしょう。
批判的人種理論が指摘するように、表現の自由を行使するためにはそれなりのコストがかかり、言葉の壁や収入格差のある外国人はそもそも不利な立場におかれています。また、排外主義が外国人による表現の自由の行使を萎縮させるように機能することも無視できません。
このように、表現の自由の源泉となるリソース格差を是正することにより、表現規制を回避しつつ排外主義の台頭を抑制する、このあたりに回答があるんじゃないかと思いました。


