yanoz

山内志朗『「誤読」の哲学』

ドゥルーズやフーコーの思想史への関与には誤読があると指摘しながら、誤読こそが哲学を展開させるものだとそこに積極性を認めつつ、対象という概念の系譜を中世哲学にまで遡って、概念の変容する姿に、哲学的な問題の在り処を探そうとする本。

直近の研究動向を参照しながら、書誌的に系譜を明確にできる範囲で思想史を記述するという一面もありつつ、著者自身の思想的自叙伝であり、かつ、現在進行形の思索日記でもあるというような、不思議な筆致で、時折繰り返される、過去の思想家に線香をあげるという、文章上の振る舞いのあり方が、研究に人生を捧げる一つのあり方が如実に露呈されるというような、異様な印象を残す。

ドゥルーズを読んだことが、著者の研究人生をどう左右したのか、といったあたり、単なる思想史の本ではなくて、生き残りの証言という感じでもある。

ざっと目を通しただけで、とても論旨を把握できたとは言えない、晦渋な、行きつ戻りつする論述なのだけど、思想史というのが、教科書的に図式化出来ない藪道のようなものの絡まりあいであって、道なき道を彷徨うように本の山と格闘している人とはどういう人か、といったことは、分からせてくれたように思う。

書き込むには、ログインまたはユーザー登録を行ってください。 初めての方へ

規約違反を通報

▼はてなハイクの今月のスポンサー
yanoz id:yanoz
書いた日数: 71はてなハイク市民 (銅)
「何かが解きはなたれた気がした」

表示内容を選択