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鈴木大介『最貧困女子』

家族にも、地域にも、社会保障にも頼ることができない、貧困の中でセックスワークの底辺に埋没していく女性たちを直接取材したルポ。

知的障害を抱えていたり、親からの虐待を生き抜いてきたりした女性たちの悲惨な状況が、直接に描かれる。

セックスワークが多様化し、状況が変化する中で、家出少女がセックスワークに読み込まれてゆく状況とは2010年代においてどのようなものなのか、なぜ既存の福祉制度は、家出少女を救えなかったのか、現場から明らかにする。

児童館の運営の仕方が、逆に孤独な子供を追い詰めていなかったか、福祉に関わる大人よりも、風俗産業に関わる大人の方が、孤独な子供たちにとって、馴染みやすいのではなかったか、という指摘は、福祉というものの根本から考え直すように促すし、法を外れた、セックスワークの周辺に形成される人脈が、一種のセーフティネットになっている様が描かれて、社会の見方を揺さぶってくる。

貧しくとも、仲間との互助的な関係によって、幸せな生き方をしている人々が増えていることや、昼間会社に勤めなごら、副業として、むしろ誇りを持って週に一度のセックスワークを行うような女性が増えているという状況を描きながら、そういう状況が、いわゆる自己責任論を後押しして、逆にますます風俗産業の底辺にある問題を見えなくし、語りにくくしている。

著者が名付ける「最貧困」の問題は、そこにあり、それを目に見えるようにすべきだ、という著者の姿勢は、救いにくい人々に対する、それでもなんとかできないかという思いに貫かれたもので、セックスワークや貧困を、攻撃の標的にしないようにするべきという著者の態度は、センセーショナルな話題を提供する事で人の弱みを攻撃しかねないような類の本とは全く違う。

そこでキーワードになるのが、肌触りの良さ、という言葉。

恋愛に依存してゆく少女たちを救うのは、自立することを勧める事ではなく、自滅的ではない恋愛を実現する手助けではないか、という提言も、制度や運動に対する批判として、現場をよく知る人だからこそできるものなのだと思う。

親からの虐待を生き抜いてきた人が、安定したパートナーを得たときに、ついつい相手を怒らせて試すような行動に出てしまうという、愛着を育むことができない障害についての描写が、切なくもある。

容姿も恵まれず知的な障害に虐待による愛着障害が重なって、貧困の底で自滅するような生き方をしてしまう人について、相手にするのも面倒としか思えないという感触は、取材相手と密接に関わり合うなかから語られる印象なのだが、その救い難さに対してこそ、手が差し伸べられなければならないはずだ、という信念から、著者自身、命を削って書いた本なのだということが、ところどころ息が切れ切れで、文体が崩壊する瀬戸際で書かれていることからもうかがえて、その後著者が脳梗塞に倒れたというのも、ハードな取材と心を苛む執筆による無理が重なったのではないかと思わせるものがある。


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