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菅原潤『弁証法とイロニー』

副題は、戦前の日本哲学。

田辺元の弁証法理解を検討し、それが保田与重郎のイロニー理解とつながることを、三木清のパトス論を媒介にして論じるといった趣旨の本。

そこで、田辺のフランス象徴詩への関心と、保田に対する萩原朔太郎の関係を重ね合わせると、ボードレールのデカダンスと、大衆文化という論点が浮かび上がる、という。

三木清が保田与重郎に与えた影響といった話だとか、西田、田辺の弟子筋にあたる京都の哲学者たち、例えば船山信一の田辺批判といった思想史的エピソードが紹介されるのは面白かったし、生田長江のニーチェ翻訳が、保田与重郎に傾倒していた後期の萩原朔太郎に影響を与えたという話も、知らなかった自分には興味深かった。

著者が西田左派と呼ぶ梯(かけはし)明秀の、西田哲学を介したマルクス理解からの三木清批判にそれなりの紙幅が割かれていて、三木清による、人間の基礎的経験の自己了解というハイデガー風の構図の中で弁証法という用語を解釈する哲学が、マルクス主義的には、階級闘争を軸とする唯物史観を無効化するものに他ならず、三木清的な身体論が、ファシズムにつながる危険を持つという梯の指摘が明解で、ここから読み取れる指針は、現在形で有効かと思える。
自然史的過程という梯の思想にも興味を持った。

ただ、本書の全体としては、三木清から保田与重郎、萩原朔太郎へとつながるイロニー論の系譜と、田辺元とマルクス主義との相互批判に関わる弁証法という論点との相関についての議論は、素描の段階にとどまるもので、日独を通貫する思想史的な議論としても、誰が何を読んでいたか、何に言及しているか、といった指標のみで話が終始していて、単純な図式を描くのみと思われ、あまり説得力を感じさせなかった。

田辺のシェリング受容など、興味深い論点だけど、本書の説明では、概括的すぎてちょっと物足りないという印象。

そもそも弁証法という用語について何が理解されるべきなのか、本書の中だけでは踏み込んだ解明がなされず、判然としないところがあって、注釈が当てられる本文を手元に置かないと、論旨を検討できない感じ。

イロニーという用語についても同様で、イロニーという用語を使った論者を羅列しただけといった感がある。

あらかじめ思想史的な知識を持っていないと、読み進められない類の本。

それはともかく、著者が参照する、最近の思想史的研究の動向など、知らないことが多かったので、興味を持った。

服部健二氏、小野紀明氏、細谷昌志氏、氷見潔氏などなど。

ハイジック編『日本哲学の国際性』
杉田弘子編『漱石の『猫』とニーチェ』
あたり、いずれ読んでみたい。


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