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アラン・バディウ『ベケットー果てしなき欲望』

ドゥルーズのベケット論では、QUADにそれなりの紙幅を割いて論じていたと思う。わざわざ、クレイグの超人形論まで参照して、演劇史的な展望を踏まえるという念の入れようだったのが印象深い。テレビ作品もしっかり分析している。

それを考えると、QUADに言及してないのが、いかにもバディウというところなのかもしれない。

バディウ自身の演劇との関わり方も、ドゥルーズと比べて、古典的というか、文学としての戯曲寄りなんじゃないかなという印象なきにしもあらず。まあ、そんなによくは知らないけど。

ともあれ、バディウは、ベケットの作品を、文学として、根底にあるポエジーから位置付けようとする。

詩作品、とりわけ、Mirlitonades にしっかり言及しているところが、バディウの読みでは印象的で、ドゥルーズの『消尽したもの』でほ、その辺、どうだったかほとんど記憶にない。また今度確かめとこう。

というか、バディウはドゥルーズのベケット論に言及してなかったと思うけど、そこはご愛嬌という感もある。

あくまで自身の読みの経験に根ざした論述だからこそというところなんだろうけど、まあ、バディウのドゥルーズ論自体に、ベケットに対する姿勢の違いも見えているんだろうと思う。

邦訳の解説には、バディウとベケットって事でもとある論者が本を出していると紹介されていて、英語圏でのバディウへの注目具合がわかるというもの。

そんなところも踏まえて、ドゥルーズと突き合わせて読んでみたいところ。

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